雪の日にライオンを見に行く

出 版 社: 講談社

著     者: 志津栄子

発 行 年: 2023年01月

雪の日にライオンを見に行く  紹介と感想>

周囲とうまく打ち解けられないコミュニケーションにちょっと難がある子どもたちが、教室で鷹揚に受け入れられる幸福な物語です。小学生にもそれぞれ心の事情があるものです。積極的に人と親しくすることが出来ない場合もあります。あるいは人前で言いたいこと言えず、気持ちを伝えることができないことも。短気な小学生たちは、ちょっとのことでぶつかりあい反目し合います。いびつなパワーバランスは、いじめを発生させたり、仲間はずれを生みます。そんな危ういところを、この物語の教室が回避できるのは、多少、変わった子がいたとしても「そういうやつがおってもええ」と容認するスピリットが息づいているからです。これは一年生の時から、できないことのある子を怒らず、逆にそうした子を笑う子たちを叱ってきた先生の薫陶が五年生になっても生きているからです。ことあるごとに「そういうやつがおってもええ」と誰かが言う。これは救いになります。ハードな言い争いをしながらも、歩み寄ろうとする姿勢を崩さない子どもたちの度量の広さと、またそれぞれが自分を越えていく契機が鮮やかに描かれる物語です。後書きで作者は「この物語に登場する先生や子どもたちは、もはやおとぎ話の世界の住人? いえいえ、子どもたちは今も昔も変わりません。どこまでもやさしく、大きな包容力をもっています。」と書かれています。ここにある願いと祈りが物語に結ばれています。教室が無情で無常に描かれるほど、リアルで真を穿っていると思いがちなのですが、こんな教室もまたあって欲しいと思うのです。幸福な子ども時代が子どもたちの自助によって支えられる。そんな理想を描く、第24回ちゅうでん児童文学賞大賞受賞作です。

小学五年生の唯人(ゆいと)のクラスにやってきた転校生は、スタイルが良く見た目も良いけれど、そっけない態度をとる少女でした。金沢の学校ではアズと呼ばれていたという梓(あずさ)を、フレンドリーな大阪の小学校の子どもたちは積極的に遊びに誘いますが断られてばかり。その堅いバリアと愛想のなさに、みんな不満をもらすようになります。そんなアズですが、何故か唯人には時折、声をかけてくるようになるのです。それは唯人が、いつもひとりでぼんやりしているからか。唯人は恥ずかしがり屋で人に話しかけられても、ちゃんと受け応えができません。アズの文句めいた言葉をただ聞くだけの唯人。アズは、やたらとかまってくる同級生たちに癇癪を起こしてバクハツしてばかり。そんな態度でも、このクラスは鷹揚に受け流してくれるのです。唯人はアズが他の子たちとぶつかることが心配でなりません。唯人もまたクラスで大目に見てもらっている子であり「やさしさの中の孤独」を感じていたのです。紙芝居の発表や老人施設訪問などのイベントを通じて、唯人はアズに心を近づけていきます。やや無神経に干渉しすぎるクラスと素直にそれを受け入れられないアズ。彼女をかばうために、大人しい唯人が、女の子たちのボスである文香をどなりつけたことも、トラブルにならず美談になってしまうあたりも、この教室の鷹揚なやさしさだったかもしれません。冬休みの雪の日、偶然、アズと町で出会った唯人は、彼女が「親友」だという天王寺動物園のライオンを見に行きます。アズが抱えているさびしさに唯人も共鳴し、アズもまた唯人がひとりぼっちなのだということを知るのです。冬休みが明けて開催されたクラス対抗の学年なわとび大会が、アズをクラスに溶け込ませる契機となります。そこには引っ込み思案だった唯人がパス回しをした功名もありました。クラスがひとつになっていく幸福な結末が近づいていきます。

こうまとめると、なんだかおめでたく思えてしまうのですが、理想が決して上滑りせず、地に足のついたお話になっているのは、唯人がとても真摯に思い悩んでいるからです。物語を通じて彼が成長するのは、自分はどう生きるべきかを深く考えて、それを行動に移していきます。家族の問題が唯人にはあります。幼い頃に母親と自分を置いて出て行ってしまった父親のことをどう考えたらいいのか。父親にもまた苦衷がありました。唯人の祖父は戦時中に孤児として中国に取り残された残留邦人でした。自分が日本人であることを知らずに育ったものの、日本との国交の回復から始まった帰国支援を受けて、息子たちと共に日本で暮らすことにしたのです。唯人の父の竜次は二十数年前に祖父と一緒に夢を抱いて日本にやってきて、仕事を得、唯人の母親と結婚したものの、結局、日本から逃げ出してしまいます。唯人はなぜ父親が逃げたのかを考え続けています。中国人として育った父親は、日本で自分のアイデンティティを見失い、どちらの国の人間でもないことに悩んでいたのだと唯人は知ります。それはまた唯人の自分への問いかけでもあるのです。物怖じするばかりではっきりと自分の意志を口にできない自分。いなくなってしまった父親への怒りさえ、はっきりと意識することができないのです。そんな唯人がアズやクラスの友だちとの交流の中で、自分の気持ちに気づいていきます。この並行するプロセスが唯人の心を深めていきます。関西弁のやりとりに、祖父や叔父家族の中国語が混ざり合う、賑やかな場面がずっと続きます。教室のボリュームもまた大きく、子どもたちの個性が弾ける、ちょっと切なくて幸福な物語。主人公が好意を寄せる変わり者の女の子が教室で居場所を失い、いなくなってしまう「いつか見たガール」の物語の哀切も惜しみたいところですが、アズは健在です。それは少年にとって、とても幸福なことだと思えるのです。