出 版 社: 秋元文庫 著 者: 高谷玲子 発 行 年: 1974年01月 ※僕の持っているのは74年版なのですが、 |
< 静かに自習せよ(マリコ) 紹介と感想>
児童文学や少年少女小説の亜流であり、(諸説はあるけれど)現在のライトノベルの源流である「ジュニア小説」の草創期のレーベル「秋元文庫」は、昭和40年代に隆盛を迎えていました(集英社のコバルト文庫はこの10年後ぐらいに刊行されます)。秋元文庫ファニーシリーズは、自分よりも前の世代の本で、よく古書店で見かける古い本という印象でした(とくにあの黄色い背表紙が印象的でした)。とはいえ、児童文学やYAの源流を探る中で、調べていくと意外にも児童文学で有名な山中恒さんが、数多くの作品をここから出されていたりと、その親和性を感じたところです。もっとも『ボインでごめんなすって』『恋ワスレ鯉太郎』『われら受験特攻隊』など、タイトルからして、正統派児童文学史からは黙殺されそうなものばかりなのですが。今回、採りあげたいのは、高谷玲子さんの『静かに自習せよ(マリコ)』です。高谷玲子さんは25歳で夭逝された作家で、この作品は彼女が中学三年生から20歳頃に書かれたもの。後にNHKの少年ドラマシリーズでもドラマ化された学園ユーモア小説です(ちなみに少年ドラマシリーズでは、同時代の児童文学の名作である、乙骨淑子さんの『十三歳の夏』もドラマ化されています)。これが、なかなか読みどころがある作品なのです。
主人公は相川マリコ。登場人物紹介によると『相川マリコ。通称、坊や、時に金魚。おさっしの通り、チビで頭の働きは子供っぽい。二年C組副委員長』。この、坊やと呼ばれている中学二年生の女の子の一人称で物語は展開します。この紹介からすると、所謂おてんば、オッチョコチョイタイプ、と思いきや、そうでもなく、彼女が流暢かつ正確な言葉づかいで心象を鮮やかに綴っていくので、とても明晰な頭脳の持ち主という印象を受けます。この、地の文章が魅力的なため、比較的凡庸で事件の少ない日常物語も、すんなりと読まされてしまうのです。なによりも楽しいのが、クラスメートたちの関係性です。クラス委員長の白石君はちょっとクセのある男子。皮肉屋でマリコをからかいつつ、いつも色々な策略を練っている。一方、クラスの鼻つまみものである乱暴者の花千は、手に負えない子だけれど、意外にも純情なハートを持っています。女史と呼ばれている三村律子は、男子もたじたじの口達者で、名言、箴言を用いて、言葉巧みに戦いを挑んでくる。こうしたユニークな同級生たちの心の思惑が交錯するドラマ。恋愛要素がないあたりもなんだか良くて、この物語が書かれた昭和時代中葉の古き良き学校生活がしのばれるところです。
おてんば、おちゃめ、女史タイプ、不良の親分、委員長、メガネ、ガリ勉、スポーツマンなどのストックキャラクターが数多く登場して、時々、おセンチになるところもあるけれど、基本的にワイワイと楽しいのが、こうしたジュニア小説の醍醐味です。そして、不良だけど実は、とか、優等生だけど実は、なんて、キャラクターの逆転が仕掛けられて、ドラマが展開していくのもわかりやすいところ。ベタで文学性なんてないけれど、ただ読んでいて楽しい世界が展開していきます。この『静かに自習せよ(マリコ)』は、そうした類型的な面白さの他に、さらに不思議な魅力がありました。主人公マリコの内省的だけれど、気丈夫で思い切ったところがある性格や、「~である」調で語られる硬質な独白に、ちょっとしたウィットがあるあたり。こうした主人公の女の子の魅力が、ジュニア小説を支えているものだと思います。必要とされるのは「けっこう可愛い子なんだけれど、自分の魅力には気づいていない」という前提です。大きな事件や過激な描写はなく、少女の豊かな感受性がとらえていく、小さな日常が愛おしかったりします。児童文学でもたまにこうした感覚が引き継がれている気がしますが、ライトノベルにもこの感覚が隔世遺伝していればいいんだけれど(いや、ちゃんと読んで検証しなければと思うところです。このところアンテナを広げることをサボっているのです)。