風の神送れよ

出 版 社: 小峰書店

著     者: 熊谷千世子

発 行 年: 2021年10月

風の神送れよ  紹介と感想>

伝染病が蔓延していくパンデミックを描いた沢山の物語があります。急速に感染が拡がり、呆気なく人が死んでいく。無力な人間は、為す術もないまま、ただ神に救いを求めるしかない。極限状況下にこそ人間であることの尊厳を見るものなのかも知れません。そんな時代から、不屈の努力で感染拡大を防いでいく時代へシフトする様子を描き、物語は様々な人間の疫病との戦いを見せてくれます。2020年からのコロナ禍は現在(2022年6月)も継続しており、私たちの生活には大きな影響を与えられています。とりわけ子どもたちの学校行事など、生涯に一度しかない機会を感染拡大防止のために失わざるをえなかった無念さを思います。コロナの時代を描く児童文学が次第に増え始めた昨今、描かれるのは感染者が急増してパニックが起きている劇的な状況ではなく、感染拡大防止のために日常生活に制限があったり、経済的に影響が生じている日常です(それもまあ大変なことです)。日本では現時点で3万人を越える死者がおり、家族をコロナで亡くした子どもも数多くいると想像しますが、まだその領域に物語は踏み込んでいないようです。とはいえ「コロナ禍の子ども時代」が人生に与える影響は少なからずあるでしょう。本書は、人口194人、63軒の地方の小さな集落を舞台にした物語です。ここはまだ一人の感染者も出してはおらず、直接の影響はないものの、コロナの影響で親の商売が立ち行かなくなったり、日常生活の制限に不自由さを感じている子どもたちがいます。そこに生じた心の揺らぎはささやかなものかも知れませんが、この時代の子どもたちの気持ちの揺らぎを繋ぎ止めています。本書では、400年続いた疫病退散の伝統行事を行う子どもたちを通じて、神の存在についても思いを巡らすことになります。コロナに神の啓示を見るかどうかはともかくとして、本気の神頼みに真摯に向き合う子どもたちの覚悟や心意気に、清新なものを感じる作品です。

小学六年生の優斗(ゆうと)が住む、長野県の南、神坂田の宇野原地区には、毎年二月に「コト八日」という年中行事があります。念仏を唱えながら家々をまわり、口上を述べ、コトの神とも風の神とも呼ばれている疫病神を集めて、村はずれに追い出すのです。江戸時代に疫病が流行った時に、それを鎮めるために始まって以来、四百年もの間、伝承されてきた大切な行事です。計画から準備まで、この行事の一切を、小学三年生から中学一年生までの子どもたちだけでとりおこなうということも伝統です。今年、優斗には、ひとつ歳上でリーダーの凌(りょう)を補佐する役割が与えられていました。来年は優斗が頭取と呼ばれるリーダーになる番ですが、まだその自覚はありません。神様なんているわけがないと優斗は内心、考えています。本当に神様がいるなら、コロナウイルスなんてひとひねりだろうし、辛い思いをする人などいないはずだと、学校行事をコロナで邪魔され続けてきた優斗はそう思うのです。一方で、コロナ禍のこんな時だからこそ、この行事が必要なのだと言う大人もいます。そして、子どもたちがより頑張ることが求められるのです。しっかり者のリーダー、凌の人徳もあって、子どもたちは次第にまとまり、行事に向けて練習に励んでいきます。それでもやはり浮かんでくるのは、神様を祀れば幸せになれるのか、という疑念です。自分たちの力ではどうにもならない苦難に遭遇した子どもたちは、その疑問への答えを探しています。神様はたしかにいて、人々に幸福を、時には災いをもたらす。それでも信心を持って頑張ろうとする人間を見捨てることはない。そんな大人の言葉に動かされ、優斗も、この神頼みに、本気で取り組み始めます。しかし、行事の本番を目前にして、リーダーの凌が怪我をしてしまい、補佐である優斗に口上の読み上げや、年下の子たちを指示する役割が担わされることになります。不安に思いながらも、神送りを行う優斗は、四百年間、子どもたちが受け継いできた伝統の重みを受け止めていきます。仲間たちと共に、自分たちだけで神送りを行う。優斗の胸の高鳴りが伝わってくる、コト八日行事の臨場感。難事をやり遂げた達成感と共に優斗が見た景色が、目の前に美しく浮かんできます。

他力本願というと、他人をアテにして、自分はなにもしないような無責任なニュアンスで使われることもありますが、本来は、阿弥陀仏の本願を頼って成仏するという仏教用語です。ここには一心に仏に帰依する覚悟が必要とされます。神を信じて、願掛けをする神頼みも、お百度を踏んだり、水ごりをしたりと、よりハードな苦行を自らに課す場合もあります。こうした行為は非科学的でナンセンスなだけなのか。共同体の安寧を願う神事に参加することによって優斗が与えられたのは、この土地に暮らし、守ってきた人たちの気持ちにアクセスする機会です。子どもたちは、父親の世代や祖父の世代、また祖先がどんな思いでこの行事を行なってきたのかに思いを馳せます。なす術もないまま、疫病で大切な人を失ってきた人間が、この神事に何を託してきたのか。コロナを前にして、それを克服し、負けないという意思を子どもたちは示そうとします。疫病神を集めてまわり、それを捨ててくるという行為の効果は、科学的には立証されません。ただ子どもたちが頑張ることで、人々の気持ちが繋がり、連帯感が生まれます。人が大切にしているものに歩み寄り、自分もまたそれを大切にすること。これが強制となると功罪半ばするところはあるのですが、科学的な防疫プログラムを強化することだけが疫病対策ではないという次元があることを考えさせられます。大人たちの気持ちに歩み寄り、子どもたちの気持ちを慮り、自分もまた凌のような立派なリーダーになりたいと考える優斗の真摯さ。その真面目で背筋の伸びた心根が清々しい物語です。本書は、2022年の青少年読書感想文コンクール、小学校高学年の部の課題図書です。信仰や信心を手放しに礼賛するわけではなく、ちゃんと考えるプロセスを経て、子どもたちが、その意味を体感していくあたりが読ませるところです。一方で強固な地域コミュニティで生きていくことの窮屈さも感じます。色々な賛否が小学生の感想として出てくると面白そうですね。