夕焼けのわすれもの

出 版 社: 講談社

著     者: たかのけんいち

発 行 年: 2019年02月

夕焼けのわすれもの  紹介と感想>

昭和時代に小学校生活を過ごした方は『雨のトーテムポール』という紙芝居を覚えておられるかも知れません。自分もその世代なので、「トーテムポールを見かける」たびに、このタイトルを思い出すものの、内容についてはややおぼろげです。悲しい話だったような気がします。そんなふうに紙芝居に出てくるほど、トーテムポールが当時の小学生にとって身近なアイテムだったのです。まあ、驚くべきは、今でも「トーテムポールを見かける」ことですね。近所に小学校があって、校庭に1970年代当時の子どもたちが作ったであろうトーテムポールが健在なのですが、そう珍しいものでもないのか。何故、あの当時、子どもたちはやたらとトーテムポールを作ったのか。使われなくなった木製の電柱が子どもたちの工作(特に卒業製作)に流用されたという話ですが、インディアンに対する親密度も何故か高かった時代だったので、複合した要因があったのではないかと想像しています。まだネイティブアメリカンのことを気安くインディアンと呼んでいた時代でした。本書は、そんなトーテムポールがある時代に紛れ込んでしまった現代の少年の物語です。その時代を象徴するアイテムとして、トーテムポールが採用されているあたり、リアリティを感じさせます。夕陽に照らされた団地が、この物語の舞台です。「団地」そのものの位相もこの50年ですっかり変わり、現在(2022年)では寂れた印象が強いものですが、高度成長期には沢山の子どもたちがそこで暮らしていた賑やかな場所であったかと思います。中高年の大人読者には懐かしさを感じる物語であり、現代の子どもにとっては不思議なファンタジー空間と出会える物語です。第20回ちゅうでん児童文学賞大賞受賞作です。

小学六年生の翔太(しょうた)は、転校してきたばかりの厚司(あつし)が忘れて帰った宿題のプリントを持っていくように担任の先生に頼まれます。幼なじみの女の子、純と一緒に厚司の住む団地に向かう途中、二人は赤い夕陽に照らされた団地や周囲の雰囲気に、いつもと違ったものを感じます。団地の広場のすみには、見慣れない木の柱が立っており、物知りな純はそれがトーテムポールだと教えてくれます。気がつけば、広場で遊ぶ子どもたちは、モノクロの古い写真から抜け出してきたような格好をして、二人が知らない遊び(ゴムとびやメンコ)に興じていました。厚司の部屋を訪ねても誰もおらず、近所の人はその部屋に住んでいるのは甲斐(かい)という名の少年だと言います。気味の悪い雰囲気に、二人は逃げるように帰ります。純は後になって、あの時の団地は過去の世界ではなかったのかと翔太に仄めかします。昭和時代へタイムスリップ。それに興味を持ったのは当の転校生の厚司です。三人は団地の自治会長に会い、この団地ができた昭和四十年当時の話を聞き、あれが過去の世界だったことに確信を強めます。翔太にはこの不思議な現象の謎を解くヒントを手にしていました。それは祖父の営む古書店に置かれていた一冊の本です。その『夕映えのやくそく』という本に登場する団地の風景がこの団地と似ているのです。夕焼けが団地を染め上げるのを待って、また過去の世界に入り込んだ三人は、物語に登場する甲斐という少年と会うことができます。翔太は、どこか見覚えのある甲斐が、この団地の中で大人たちから爪弾きにされていることに気づきます。他の子どもたちと遊ぶことを嫌がられている甲斐。その理由を翔太は物語を読み進めることで知ることになります。孤独な少年、甲斐。野球好きで人なつっこい彼が、何故、嫌われるのか。やがて翔太は物語に書かれていない秘密を、現実の中から解き明かしていくことになります。

思わせぶりな物語は、誰が『夕映えのやくそく』という本を書いたのかをずっと暗示しています。それが自費出版された作品であり、翔太が団地での不思議な出来事を祖父に話した後、祖父の古書店で目につくように置かれていたというあたりも意味深です。多くを語らない祖父。その生い立ちや振る舞いなど、すべてが明らかになった時、一本の線として物語の中で繋がっていきます。翔太も厚司も両親が離婚しており、親の都合に翻弄され、それを飲み込まざるを得ない苦衷を滲ませています。物語の中の少年、甲斐もまた親の身勝手で、理不尽な状況に追い込まれています。貧しいけれど美しい過去の少年時代を舞台に描く回想の児童文学は数多くあります。しかし、この作品は、昭和中葉という時代が、エモーショナルで人情に溢れノスタルジーに満ちた美しい空間としてではなく、世知辛いハードモードで描かれる新機軸なのです。弱り目に祟り目の、なんとも辛い子ども時代もあります。世の中は、多少、弱者にも優しくなったのか。オールドデイズ、バット、グッデイズではない、過去の世界の描き方がジワジワくる物語です。実際、子ども時代なんか思い出したくもないという方もおられると思います。ノスタルジックに思いを馳せるような美しい時間ではない子ども時代もある。美しい思い出に浸るためではなく、孤独を深めていた、あの時の子どもを救うために回想される過去もあります。僕もまた子ども時代を思い出したくもないし、実はトーテムポールにはゾワゾワさせられます。物語の救いについては、いつも考えさせられるのです。