龍の腹

出 版 社: くもん出版

著     者: 中川なをみ

発 行 年: 2009年03月


龍の腹  紹介と感想 >
時は鎌倉中期、博多で反物を扱う商人であった太郎の父は、宗から輸入されてきた焼き物の魅力に憑かれ、なんとか日本でも質の高い陶器の製作ができないものかと考えていました。その気持ちが昂じて、ついには家財を売り払い、一人息子の太郎を連れて、海を越えることにしたのです。自分で陶器製作方法を学ぶか、あるいは職人を連れて日本に帰ることを夢見ての出奔でした。ところが、焼き物の地、龍泉の窯元を訪ねて彼が知ったことは、既に成熟した宋の陶器は、製作工程が細分化され、分業を極めたそれぞれの専門職の仕事の集積で出来上がる工業製品の域に達していたのです。つまり陶器作りを学ぶには、一工程ですら多大な時間と苦労を要し、全工程を個人で把握することなどは無理。ましてや、日本で製作を行うために職人を連れてかえることも難しい、という状況だったのです。そこで、太郎の父は、まだ八歳の息子を、一人、龍泉に陶器づくりの修業させるために残して、自分はその地を離れてしまいます。この国での名前として希龍と名付けられた太郎の苦闘の日々がここから始まります。父の夢の犠牲となって、捨て置かれた自分はどうなるのか。慣れない力仕事をしながら、土を運び、日本人と蔑まれながら、言葉もままならない世界で暮らす希龍。父に対する恨みを抱きつつ、それでも段々と目覚めていく陶器作りへの情熱。修錬を積み、やがて二十歳を迎えようとする希龍は、親方からひとつの課題を出されます。職人として一人前になったかどうか、その腕を問われる時がきたのです。希龍は陶器づくりを極め、そして、父と再会し、日本に帰れるのでしょうか。風雲急を告げ、宋の時代は終ろうとしていました。日本にも侵略の手を延ばそうとしていた、あのフビライ率いる元の時代がすぐ目の前に迫っています。果たして希龍の運命はいかに、という活劇だけではない、心のドラマが魅力の物語です。

日本人が皆、宋の陶器のような美しい茶碗で食事をするようになれば、日本は変わる。そんな「茶碗革命」を、希龍の父は夢見ていました。それは商人として陶器を流通させて富を得る、功利の追及だけではない、人間としての理想だったのです。小さな美しい茶碗から文化を日本に流布したい。陶器だけでも宋に肩を並べたい。そんな願いのために、一人息子は言葉もろくに通じない世界で苦闘を強いられます。やがて青年となった希龍は、父の理想を理解しながらも、その理不尽を納得しきれてはいません。一方、希龍は、一人前の職人となった今、ただの職人仕事を越えた、自分の陶器づくりに焦がれてもいます。彼もまた父と同じく、情熱と理想の人なのです。どうにもおさまりがつかなくなってしまった自我を抱えた希龍。そんな彼が彷徨のさなか、思わぬ旅の仲間を得ます。元が侵攻し、宋も内側から乱れていく、動乱の巷。宋の大義のために闘う男の息子をかくまい、一緒に旅をすることになった希龍は、父と自分の人生や、親しくなった人々の人生を深く噛みしめていくことになります。大きな歴史の転変の中、一個人の、風に転がる人生など、大きな河の流れに浮かぶ木の葉のようなものかも知れません。だからこそ生きぬいていくことに意味がある。中国大陸の広大な大地と、激変の時代いう大きな背景をバックに、日本人の少年の成長を描く、壮大な作品です。

今西祐行さんの『肥後の石工』(1965年)のような歴史に埋もれた庶民の物語を、現在の国内児童文学でも読めるとは。しかも、よりワールドワイドな舞台で、かつての時代に生きた名もなき庶民の半生が真に迫って語られる感慨深い作品なのです。大人向けの歴史小説として出版されても充分に読ませるだけの質をもった作品だと思うのですが、この時代、この世界で、数奇な宿命を強いられた子どもたちが生き抜いていく姿や、親子の愛憎や葛藤など、児童文学として読むことに意味のある作品だと思います。少年が職人魂を培っていく徒弟小説の魅力もあり、また歴史小説としてもあまり描かれることのない中世(鎌倉時代中期)を題材に、英雄ならぬ庶民の物語が、日本と中国(南宋から元となる時代)を結んで活写されるのです。題材としての面白さも十二分にあります。端麗で整えられた文体で、一人の男性の少年から青年期にかける魂の遍歴が描かれていきます。実に読み応えのある作品でしたよ。