出 版 社: 講談社 著 者: 大島恵真 発 行 年: 2018年09月 |
< 107小節目から 紹介と感想 >
複雑な二重拘束(ダブルバインド)に捕らえられている小学六年生の女の子の物語です。父親はすぐにどなりだし、母親をバカ呼ばわりする暴君です。一方で娘を励まし、スイミングスクールへの送り迎えも厭わない優しさもあります。とはいえ、娘の希望は否定し、その未来を自分の思うように決めつけてしまう。それもこれも娘に幸せになって欲しいからです。これらが彼の中では一貫性がある行為のため、処置なしなのです。こうした、良かれと思って、人を傷つける「考え方が微妙におかしい人」が世の中にはいます。赤の他人なら関わらなければ良いだけの話ですが、家族としては情愛もあり、できれば仲良く楽しく暮らしていきたいのです。そんな切なる願いを持つ娘は、どんな「間合い」で父親と接したら良いのか。自分の心が壊れないようにしながら、やっかいな親と共生していくための適切な距離感。国内児童文学にも「毒になる親」なら切り捨てても構わない、というトレンドが見え始めています。息が止まってしまう前に、コース変更をすべきだと推奨されています。とはいえ、一度立ち止まり、一呼吸置くことで拡がっていく世界もある。主人公の「考え方」のスケール(音楽的な意味も含め)に潜められていたものが明らかになっていくプロセスが、読みどころです。対抗する考え方も暗示されますが、もう一人、フラットな視野を持った登場人物を置いて欲しかったか。いやそれこそが読者のポジションなのかと思いつつ、ずっと考えさせられています。第五十八回講談社児童文学新人賞佳作受賞作です。
由羽来(ゆうら)は、もうすぐ小学校を卒業する六年生。スイミングスクールに通っていますが、スクールの中では成績が悪い方の子です。本当は競泳を辞めたいけれど、父親が許してくれません。オリンピックを目指せと言われても、自分にはそんな実力はないし、由羽来が興味を持っているものはクラッシック音楽なのです。車のオーディオで由羽来と演奏を聴いている父親は、いつか一緒にニューヨークフィルを聴きに行こうと言ってくれるものの、由羽来が音楽を始めることには反対します。音楽をやるには「絶対音感がなければダメ」だし「食べていけない」というのです。父親は万事こうした調子で、独善的な決めつけで、頭ごなしに家族を否定します。意に沿わないことがあれば、すぐにどなる。自分の意見をちゃんと口にしない由羽来の母親は、いつもバカだと父親に罵られていました。典型的なモラハラの人ですが、本人にはその自覚がありません。父親の母親である祖母としばらく一緒に暮らすことになり、由羽来は父親が祖母を嫌っている理由を知ってしまいます。父親もまた祖母から同じように価値観をおしつられて、それに反駁してきた人だったのです。祖母から「食べていけない」と反対されていた服飾デザインの道を選び、独立したものの商売がうまくいかず、食べていけなくなった彼の現在の心境はいかばかりか。由羽来にスイミングを強制することも、自分が子どもの頃に身体が弱かったこと踏まえての親心。父親の心の裡を垣間見た由羽来が、それで父親に諾々と従えるようになるかと言われれば、そんなことはありません。無論、父親も「改心」することはないのです。残りページが少なくなる中で、この物語は一体、どんな結末を迎えるのかと期待と不安を抱いていたのですが、やがて見せられた次元の違う景色に唖然とさせられました。休符の向こうにあるもの。「やるせない共感」がもたらす救済もまたあります。
小学六年生の女の子が「人の悲しみ」を感じています。自分や周囲の人を不幸にする「考え方」の人はいるものです。ただ楽しむなんてダメ。一流のプロにならなければ意味がない。何故、そんなに自分を追い込むのか。そして、そのスケールを他人にも当てはめてしまうのか。それでも、寡黙な母親のリベラルなスピリットに触れることで、由羽来は自分もまた、父親や祖母と同じ、歪んだ考え方をする人間なのだと気づかされます。由羽来の主観で進行する物語は、彼女自身のネガティヴな「物の見方」をずっと見せつけていました。そして、自分の「物の見方」が父親の相似形であることに自ら気づいてしまうあたり、圧巻です。父親のイヤな部分を、そっくり受け継いでいる自分。価値観の違う友人をどこか軽視している自分。自分にはない心の広がりを持った母親との対話による気づきが、父親に向けるまなざしの変化をもたらします。ブレイクポイントの先には、きっと新しい世界がある。由羽来と同じような境遇にいる子どもたちは、この地味な虐待の苦しみをなかなか理解してもらえないと思います。由羽来が踏み出した一歩の意味さえ、目に止まらないものかもしれません。この物語は賛否両論あるでしょう。それでも、孤独な戦いを続ける人の心に響き、寄り添ってくれる物語になるのだと思うのです。微に入る感覚の妙を描く物語に感嘆しています。