ミスター・ピップ

EXLIBRIS.

出 版 社: 白水社 

著     者: ロイド・ジョーンズ

翻 訳 者: 大友りお

発 行 年: 2009年08月

ミスター・ピップ   紹介と感想>

テーマが深く、玄妙な味わいのある作品です。十三歳の少女を主人公としており、YAとしての心の揺らぎも充分に感じ取れるのですが、もう少し先の大人のステージまで主人公は到達していきます。「文章や台詞を正確に思い出すことはできなくても、読んだ物語の「主旨」を伝えることはできる」というのは、この本の主人公が驚きをもって発見することであり、僕自身、感想文を書くときに意識していることです。レビューを書く時に本文には登場しなかった端的な言葉で、その本の真意を言い表せたらといつも思います。自分の中だけに響いた言葉を閃かせて、その世界を語ることができないのか。それはとても難しいことです。とはいえ、物語を読み感じたことで、心に結ばれたものがそこにあるはずです。子どもたちは、自分たちの記憶の切れ端を集めて、一つの物語を再生させようと試みます。本そのものを失ったことで、物語の核心に近づくことができるという逆説。それは、記憶のモザイクが一枚の風景を作り上げる、この作品の全体像と響きあうエピソードです。おぼろげな断片が多元につなぎ合わされた時、スパークが生まれ、新しい世界が拓ける。本と人をめぐる不思議な記憶の物語。この本についての僕の記憶の断片は何を伝えられるのだろうかと思いながら、今まさに、この作品の世界を反芻しています。「物語を物語る」物語を物語る、入れ子の蠱惑がここにあります。

革命による武力衝突は、太平洋上に浮かぶ小さな島を巻き込み、大人の男たちの多くは革命軍に参加していきました。白人たちはこの島を出ていき、現地民の間に唯一残ったのが、ミスター・ワッツでした。奇妙な扮装をして、いつも気の触れた黒人の妻を手押し車に乗せ連れ歩いている不思議な人物。そんな彼が、マティルダの学校の「先生」になろうとは。ミスター・ワッツの授業は、生徒たちの家族や島の人たちを呼んで、それぞれの知識を披露してもらうこと。そして、ディケンズの『大いなる遺産』を朗読することでした。南の島の子どもたちは、遥かイギリスの19世紀の少年、ピップの境遇に引き寄せられていきます。やがて武力紛争は激化し、電気は遮断され、家は燃やされ、非情な暴力が、自然とともに生きるこの島を席巻していきます。すべてを失ったあとでも想像力だけは残されるのか。失われていくものを補う記憶の中の虚像と実像。そのハーモニーが奏でる不思議な余韻を味わえる物語です。

一冊の本が伝える物語が、人の心に種を蒔き、根づき、芽吹いていく。この作品は、さらにその深層にあるものを貫いていきますが、この導入となるエピソードは、本や物語を友とする「読者」となることを意識したことがある人には、魅力的なものと思います。何故、空想の人物を身近に感じるのか。島の住民にとって大切なのは、自分の親族と家系図を記憶していること。なのに、マティルダの心には、物語の中の少年、ピップが息づいてしまったのです。マティルダの信心深く保守的な母親は、ミスター・ワッツの影響で娘の気持ちが自分や島の考えから離れていくことを恐れます。そんな母の気持ちに気づいている娘の、でも、どうにもならない葛藤が描かれます。そして、謎めいた人物であるミスター・ワッツをめぐる部分では、さらに複雑な思惑の構造があるのですが、これは是非、読んで感じ取っていただきたいところです。物語の登場人物に対して「友人のように」に心を沿わせ、現実の友人以上に親しくなっていくこと。思春期の「読書」への焦がれるような想いは、それ自体が物語的で、それこそ『更級日記』の昔から「本を読む物語」には多くの魅力的な作品がありますね。例えば、『ジェミーと走る夏』は、『ジェイン・エア』を少女たちが読む物語。個人的には高野文子さんの『チボー家の人々』を読む女子高生を描いたコミック、『黄色い本』が好きです。ところで、この本、読んでいて池澤夏樹さんのイメージがちょっとありました。南洋趣味で、幻想的な雰囲気からの連想でしょうか。