出 版 社: 小峰書店 著 者: 松本祐子 発 行 年: 2008年09月 |
< 8分音符のプレリュード 紹介と感想>
空回りし続ける中学生女子の心のギアが噛み合って、少し前に進めるようになるまでの長い道のり。そんな感じの物語ですが、主人公が八割方迷走しているので、相当しんどい読書になります。心の底を深掘りして、自分の本心を見極める。自己正当化ばかりで、他人のせいにしがちな年頃ですが、自分の非を認めつつも自尊心を失わず、建設的に人と関係性を結んでいこうとする姿は、自分の中学生当時を振り返っても、なかなかできることではないなと思います。とはいえ、その境地に到達するまでは茨の道です。偽悪的な方がクールというのが中学生です。だからと言って、優等生であることをかなぐり捨てるよりも、根っから優等生な自分自身を容認して愛する方が素敵なことでしょう。社会生活を無難に送ろうとする大人と違って、中学生の遠慮のないむきだしの感情のぶつかりあいは、潔いといえば潔いのですが、まあ、ハードなフルコンタクトです。互いを傷つけている気もないままに傷つけあう。そんな傲岸の棘を隠しきれない子どもたちのバランスの悪さこそが愛おしい物語です。なんとも複雑な輝かしい時間です。中学生に戻りたくない、と声を大にして言いたくなります。いや、やり直せたとしたらどうだろうかとも思うのです。そんな気持ちにさせられる快作です。
担任の進藤先生に、その季節はずれの転校生の面倒を見てくれないか、とクラスの子たちには内緒で打診された果南。それは果南がしっかり者で真面目な子であったからです。学級委員に頼むのではなく、あえて自分を選んでくれた大好きな進藤先生の期待に応えるため、果南はその気難しい転校生に自分から近づいていきます。人形のようにスタイルが良く印象的な外見の転校生、透子。彼女は素っ気ない態度を果南にとり、クラスでも孤高の存在となっていきます。やがて、透子の素性をクラスの皆んなは知ることになります。天才ピアニストとして将来を嘱望されていた彼女が、交通事故で指に怪我を負い、ピアノを断念せざえるを得なくなったという事情とその失望。果南は、彼女の才能と、その悲劇的で非凡な運命にも激しい嫉妬を覚えます。真面目ないい子の優等生として、同級生からも揶揄されてきた果南。頼まれてもいない教室の黒板消しを毎日続けてきた自分にも、ふいに疑念が湧いてくるのです。平凡で何もない真面目なだけの自分。先生におもねって、ヒイキされていると言われながらも、信頼を得ていたと思っていた自分が、次第に小さく思えてくる。透子と衝突し、果南の発案とリードで始めた文化祭のクラス展示を巡っての不満も爆発し、果南は教室での居場所を失っていきます。そして信頼していた進藤先生の結婚退職を聞くに及んで、裏切られたという思いに果南は沈んでいきます。さて、ここから果南は自分を見つめ直し、復活を遂げます。実にハードなアイデンティティクライシスをどのように彼女は乗り切ったのか。果南に邪険にされながらも、ずっと彼女をフォローし続けてきた剣道部の少年、シーナのさりげない気配りなど、同級生たちそれぞれの個性のハーモニーが響いていきます。まあ不協和音からのスタートなので、覚悟は必要ですけれど。
タイトル通り、音楽が主題となります。果南も吹奏楽部に入っていて、クラリネットを担当しています。ただおおよそ、人間関係が主題の物語で、それほど音楽自体が語られることがなく、前述のハーモニーのように音楽は象徴的な意味で物語に作用します。吹奏楽部の先輩がなんとしても透子を部に引き入れようとしたのは、彼女に気があるからで、その先輩のことが好きだった果南が頼まれて交渉役を引き受けさせられたりと不幸は続きます。ぶつかり合いながらも、次第に透子の心中の音に共鳴していく果南。弱小吹奏楽部のレベルではない、音楽家としての透子の真の才能に圧倒されて、嫉妬心を超えて果南は彼女をリスペクトできるようになります。あまり細かい練習の苦悩などが描かれないのだけれど、クライマックスにはやはり音楽の陶酔があって、それがまた個人の個性を活かしてハーモニーを紡ぎ出すという象徴性をもったものとなっているのが見事なところです。ところで、凄く才能がある人と、才能は感じないけれど成功している人がいて、どちらに嫉妬を覚えるかで、その人の自己認識が見えてくるような気がします。そんな自己分析を大人になってすると、ろくなことになりそうにないので、中学生の時に通過儀礼として体験しておきたいものです。そんな真を穿った妬ましい物語です。