トーキョー・クロスロード

出 版 社: ポプラ社 

著     者: 濱野京子

発 行 年: 2008年11月


トーキョー・クロスロード  紹介と感想 >
見知らぬ町の散策者。山手線の路線図にダーツの矢を放ち、刺さった駅に降り立って、目的もないままさまよい歩く。携帯電話のカメラで町を写し撮る。黒ぶちメガネをかけ、結んだ髪をほどいて、学校とは違う本当の自分になってみる。友だちから離れて一人で過ごす休日。それが高校二年生の栞のささやかな趣味でした。見知らぬ町で学校の自分とは別人のフリをしてみるのは、いつも心にある淡い喪失感を埋めるためなのかも知れません。自分が仮想の存在になれば、歩き回るこの町も非現実になる。でも、そんな夢と現実のあわいの散策の途中で、栞は失われたものとの再会を果たしてしまいます。中学三年生の時、同級生だった月島耕也。かつて、なんの気もないままに、気まぐれに栞の唇を奪った男子。中学を卒業して一年半も経っているし、どうせ自分のことなど覚えていないだろうと思う栞。互いに偽名を名乗りあい、一緒にそぞろ歩く非現実の町。なにかはじまりそうな予感と、まだ踏み止まっていたいような実感。緊張感あふれる思春期的空間が愛おしい、新しい高校生たちの物語です。

時々、別人のフリをしたくなるのは、つらい現実の中にいるから、ではありません。ごく平凡で普通の学校生活が栞にはあります。そこそこのレベルの都立高校の教室的日常はとりたてて波風もない穏やかなものです。集団の中で自分がどんなキャラであるのか良くわかっていて、本当の自分なんて、学校でことさら強調する必要もないのです。ささやかなスパイスは、同じクラスにいる二人の留年生の存在。ちょっと先に大人びて、学校以外の別の場所に大切なものを見つけてしまった人たち。栞は二人の留年生の、教室では見せない本当の顔を知ります。栞の中学の先輩でもある河田貴子は学生結婚していて、すでに子どもがいます。青山麟太郎はジャズミュージシャンとして、大人たちに混じって活動しています。彼らが大切にしているものに触れた時、ちいさな栞の世界にも、大きな波紋が広がっていきます。教室という場所ですれ違う高校生たちの、それぞれの世界が交錯する時に生じるスパーク。自分の殻を破ることよりも、キャラを崩す方が難しいだなんてナンセンスな時代。他人のまなざしによって自分が誰なのか決められてしまうような、そんなちっぽけな世界を生きている現代のティーンエイジャーたち。さて、自分の内側で何かが変わってきてしまう予感に、周囲とのバランスばかり気にしている現代の高校生はどう折り合いをつけるのか。心のスイッチを押す勇気があれば、次の世界が始まる。先走りすぎて、転ばないようにと願いつつ、そのドライブ感に一緒に気持ちをゆだねたくなる作品です。

研ぎ澄まされた言葉による、洗練された文章が特徴的です。思春期の心模様は饒舌なものですが、短いセンテンスの中で溢れる気持ちはほどよく削ぎ落され、心地良い空気感を生んでいます。現代の若者言葉を活写すると、とかく乱暴になりがちですが、不思議と静謐なたたずまいがあります。表向きシラけた顔をしているけど、ありきたりな毎日に変化がきざすことを期待している。どこかで何かが待っているなんて信じていないけれど、疼くような、静かな予感だけはある。他愛もないことが深刻であり、大切であった時期の、ささやかな物思いがここにつなぎとめられています。僕は思春期の恋愛心理を綿密に描く作品がやや苦手で、個人的にはYAには「恋愛」という言葉でパッケージされる以前の未分化なモヤモヤあたりで留まっていて欲しい気がしています。とはいえ、十代女子の恋愛的葛藤は、とりたててイベントのない日常を、ひとつの物語にしてしまえるものなのだと、そのパワーに圧倒されます。見知らぬ町にサムシングを見つけだすことも、異性に幻想を抱くことも、夢見がちな季節の力です。それでも、どうか十六歳男子が考えていることなんて買い被らないで欲しいと思うのです。何故こんなに、思わせぶりなだけの底の浅そうな男を好きになってしまうのだろうかなんて、戸惑う少女の葛藤する宇宙を不思議に眺めてしまうのですが、そうした恋愛のマジックにかかってしまってこその思春期なのかもなと遠い目をしながら思います。真面目で賢明だったはずの女の子が、ちょっとワルいタイプの男子にほだされていく、その気持ちの高揚感。やがて傷ついて、苦い思い出になるにしても、何もドラマのない青春よりは全然いいよね、とか思ってしまうのは中年の発想だなと反省しきりです。