ジジきみと歩いた

出 版 社: 学習研究社

著     者: 宮下恵茉

発 行 年: 2007年06月


ジジきみと歩いた  紹介と感想 >
転校生の来生くんは勉強もスポーツもできて、とても優しく、すぐにクラスの人気者になってしまった少年です。そつがなく、気がきいていて、大人たちのウケもいい。だから、あだ名はデキスギくん。ちびで運動も勉強もできない翼は、自分とデキスギくんとを引き比べて劣等感を感じていました。自分が一歳の時に死んでしまった父親のことを思い、自分にも父さんさえいれば、とデキスギくんのように父親のいる子のことを羨んだりしています。河原で拾った野良犬にジジと名前をつけて、友だち四人と飼うはずだったのに、結局、デキスギくんと二人で面倒を見ることになった翼。いつもデキスギくんは、大人びて落ちついていて、翼はそんな彼に信頼を寄せていました。でも、ある時、デキスギくんの本当の姿を知ってしまうのです。ふいに、他の友だちから聞かされたデキスギくんの正体。蔑むように語られたその言葉。物語は翼の視点から語られていきますが、翼はまだ幼くて、デキスギくんの言葉の裏にあるものを読み取ることができていなかったのです。

それぞれに家庭の事情があります。河原の向こうにあるマンションに住んでいると言っていたはずのデキスギくんが、本当に住んでいたのは、その先にある小さな古ぼけた家でした。人が住むような家とも思えない場所で暮らしているデキスギくんの家族。父親は仕事もせず、お酒を飲んで暴れて、デキスギくんやお母さんに暴力をふるっていました。自分の家は「普通」なんだと言い続けていたデキスギくん。それは自分自身に言い聞かせていた言葉なのかも知れません。やがて警察に保護されたデキスギくん母子は父親から逃れるシェルターへと避難させられていきます。翼は自分には、お父さんはいなくても、お母さんやおじいさんの、たくさんの愛情に恵まれていたことに気づいていなかったのです。世の中にしごくありがちな不幸にさえ免疫のない翼は、デキスギくんと関わったことで、ショッキングな事実をつきつけられて、途方に暮れてしまいます。翼が正面から受け止めることになった、現実の重み。ジジもデキスギくんも翼のそばからいなくなり、翼の胸には伝えられない言葉ばかりが残ります。ジジもデキスギくんも、翼にはなにひとつとして気持ちを語ってくれませんでした。それでも翼の心には、人や動物を、思いやれる気持ちが芽生えました。川の向こう岸に見た、ジジを連れた父親のまぼろしに翼は誓います。自分は失われた世界に生きているわけではないということを翼は知るのです。少年が、たくさんの痛みを感じながら、成長していく姿が描かれた作品です。テーマは重いのですが、力強く胸に訴えかけられます。

最近の小学校はどうかわかりませんが、僕らの頃は班活動の集団で作成する宿題が多く、放課後に誰かの家に集まって共同作業をすることが良くありました。そのため、それほど親しくない同級生の家にお邪魔する機会もあって、なんとなく、それぞれの家の事情みたいなものを感じとってしまったものです。なんだか気まずいものを感じるだけではなく、ストレートにバカにする酷い子もいるものです。かつて学校はこうした部分には配慮ゼロの戦場であって、そこで微妙な感覚を練磨され、同級生とのちょうど良い距離感を学んだような気がしています。小学生はハードです。親がどんな困った人であっても、自分の力では何も解決ができないし、しかたないこととして受け入れなければならないのです。子どももだんだんと世間慣れしてきて、自分の家庭と、一般的な家庭との温度差を知るようになります。僕も、同級生たちには知られたくない家庭の事情がありました。知られたくないと思う感情。そこには、世間的な価値観で、自分の家が計られることへの恐怖心があったのではないのかも知れません。「普通」じゃない、と断罪されることが怖かったのですね。ダメだ、なんて思われたくない。ましてや、可哀相だなんて思われたら、本当に最悪です。だから学校では気づかれないようにする。きっとデキスギくんのように、「普通だよ」といいながら、デキル子の仮面で悲しいポーズをとり続けていないと、バランスがとれないことだってあるのです。なかなか、リアルタイムの小学生の頃に、深謀遠慮をもって同級生の「抱えているもの」を気づかうことはできません。不器用な同情で、余計、傷つけてしまうこともあります。だからこそ、励ましと、さりげないシンパシーは必要だと思うのです。本作は、子どもの心が深まっていく季節を、じっくりと見せてくれた良作です。