出 版 社: ゴブリン書房 著 者: 長薗安浩 発 行 年: 2019年07月 |
< ネッシーはいることにする 紹介と感想>
『あたらしい図鑑』の続編です。非常に贅沢な後日譚というか、前作を偲ぶ一冊という気がしています。良い意味で前作の存在感を思います。少年が老詩人と出会い、詩や言葉の世界に誘われた『あたらしい図鑑』の日々。老詩人は亡くなり、物語の中ではあれから二年が経過しています。中学一年生だった少年、純も三年生となり、進路を真剣に考えなくてはならない時期です。名門野球部なのに、全国大会の地区予選の二回戦で敗退するという憂き目にあい、主将だった純は拍子抜けした状態で夏休みを迎えます。このまま野球を続けるか、違う道に進むべきか。そんな折、詩人の三回忌の知らせを受け取り、純は詩人との日々を思い出していきます。知らない世界を覗きこんでしまったために、自分が何も知らず、何もわからないということにあらためて気づいてしまった少年の夏です。自分に奢らず冷静で賢明な少年である純ですが、非常に戸惑っている姿が印象的です。かつての詩人との日々が、そんな純に指針を与えていきます。世の中にある手に負えないような、わからないことをどう考えていくのか。自分で見極め、決めていく、まさにタイトル通りの意思の物語です。潔く、羨ましい少年の夏なのです。
かつて純と一緒に詩人と親しくしていた友人のトモに三回忌のことで連絡した純は、久しぶりにトモと二人で会うことになります。100キロを超える巨体だけれど女の子っぽいトモは、以前に先輩たちからカマブタとからかわれていました。しばらく疎遠になっていた間に、トモは自分の生き方への覚悟を決めていました。誰にも似ていない生き方を選べと詩人からインスパイアされていたトモ。はたからは巨漢のオカマとして奇異な目で見られようとも、自分の趣向性に正直に生きることを決めたトモに純は驚かされます。トモに誘われて純はLGBTのイベントにも顔を出すことになります。そこで遭遇した新しい世界もありました。この夏、純はどう捉えて良いのかわからないものにいくつも遭遇していきます。ベトナムに単身赴任しているお父さんが送ってくれた写真に写っていた、枯葉剤の影響で奇形になった人たちを見て驚き、ベトナム戦争のことを調べはじめたり、野球場で出会った差別用語を連呼するおじさんに驚かされたり、そのおじさんの片足が義足であることに衝撃を受けたり。どう捉えていいのかわからないもの、を前に翻弄されていくのです。それを内省しながら、調べて、考えて答えを出そうとする。純の中には詩人から与えられたスピリットが残されていました。少年としての戸惑いを、客観的に受けとめていく純。そこには詩人から受けた薫陶が生きています。心に浮かぶもやもやとしたものを繋ぎとめる詩人の構想ノート「あたらしい図鑑」のように、純の心はこの世界をスクラップしていきます。少年が自ら世界を広げていく清新さに満ちた物語です。
物語の中の時間は二年間しか経っていませんが、リアルタイムでは前作から十一年が経っていて、この間にLGBTに関する考え方も随分と拓けてきました。物語の中のトモの考え方にもそうした世情が影響を与えているようにも思えます。差別を是正する意識も敏感になってきて、迂闊にオカマなどとは言えないのが現代です。野球場で混血の球児に「クロンボ」と声援を送るおじさんに、純は複雑な感情を抱きますが、ヘイトする側の心理や「悪気」についても、時代の位相の中で変わってきていると思うところです。純は開高健の『ベトナム戦記』を読み、夢中になっていきます。それはお父さんが学生の頃に読んだ本でもあり、二人で語り合ったりして、ちょっと理想的な父子の関係が結ばれます(この物語、父子の関係は大切にされているんですが、お母さんは口うるさいだけの人みたいな描かれ方でやや可哀想というか)。自分の場合は本多勝一の『中国の旅』がそんな感じだったのですが(これも当時としては古い本で、むしろ衝撃は藤原新也の『メメントモリ』だったかな)、消化しようがなく、どうしたものやら、と思いました。ただ、過去の本については書かれた時代の感覚をどう差し引くか、という気持ちも中年目線としてはあり、後の評価も踏まえた上で、なんてことも言いたくなります。実際、リアルタイムでは大人に解釈を聞くこともなく、ただ本の凄さに圧倒されていただけでした。戸惑いを感じながら少年は生きているもので、大人が講釈したり、バイアスをかけない方が良いと思う一方、多角的な視座から本を読まないと偏向するかなという危惧も感じています。ただ物語としては少年の戸惑いがアーカイブされていることが良いのですよね。時代によって見方は変わる、ということが十年単位だと如実だなと考えさせられました。ところで、ふいに思い出したのが、子どもの頃、テレビで放送されていた『知られざる世界』という番組のことです。真面目なドキュメンタリー番組と思いきや、今にして思うとかなり奇抜な内容のものもあって、めったやたらと衝撃を受けていました。いや、世界は不思議に満ちていると思ったのです。そこでフィールドワークに乗り出さなかったのは自分の反省点です。真偽を自分の目で確かめた上で決めないとならんのですよね、ネッシーはいるにしてもいないにしても。