11番目の取引

The Eleventh Trade.

出 版 社: 鈴木出版

著     者: アリッサ・ホリングスワース

翻 訳 者: もりうちすみこ

発 行 年: 2019年06月

11番目の取引  紹介と感想>

この物語では少年が物々交換によって、次第に高額なものを手に入れていく「取引」が描かれます。そこだけを聞くと昔話の「わらしべ長者」のようですよね。一本の藁から始まって、より高価なものに交換しながら、最後は邸宅を手に入れて長者になる。そんな展開が面白くて、子どもの頃、繰り返し絵本を読んでいた記憶があります。「わらしべ長者」はラッキーな成功物語ですが、現実はそうトントン拍子に上手くいくはずもなく、そうした取引には失敗はつきものです。ただ、どこかでつまづいた時に、金銭以外の恩恵を、取引の中で得ていたことに気づかされることもあります。何を失い、何を得たのか。そもそも人にとって大切なものとは何なのか(そういうことを言い出すともはやビジネスなどできなくなりますが)。ふと「ねずみの嫁入り」的な帰結を考えます。功利を求めてみたものの、結局、本当に大切なものはすぐそばにあったのだと。その真理の至るまでの試行錯誤こそが物語の醍醐味です。では、この物語はどうであったか。主人公の少年は、どうしても期日までに700ドルの大金を手に入れる必要があり、なけなしの持ち物を交換する取引を重ねていきます。危機的状況からの逆転が小気味よく決まり、より価値のあるものを手に入れていくことができます。ビジネス的な攻略が奏功しただけではなく、周囲の人たちとの関係がもたらしてくれた恩恵もまた大きなものです。「取引」は価値を交換するだけではなく、人との交歓でもある。11番目に巡ってきた取引が少年に与えたものはより尊く、金銭だけではない、価値の多様性をも物語は見せてくれました。

祖父と二人でタリバン圧政下のアフガニスタンを逃れ、イラン、トルコ、ギリシアなどを転々とした四年間の難民生活を経て、ニューヨークで安住の地を得た少年、サミ。多くのものを失い、手元にはごく僅かなものしか残されていません。この逃避行を支えてきたのは祖父が得意とするルバーブという民族楽器でした。祖父は街角でルバーブを演奏することで収入を得て、サミは学校にも通えるようにもなりました。しかし、祖父からルバーブを預かったわずかの間に、サミは見知らぬ男にこの楽器をひったくられてしまうのです。なんとかして楽器を取り戻したいサミは、ネットオークションに祖父のルバーブが出品されていることを知り、出品者を突き止めます。果たしてルバーブを売ろうとしていたのは楽器店の店主でしたが、たとえ盗品だろうと返すことはできないと突っぱねられ、700ドルで売ろうという取引をサミは持ちかけられます。期限までにお金を集められなければ、ルバーブは他の人の手に渡ってしまう。お金のない十二歳の少年の手元にあるのは、ごく僅かなものだけ。祖父からもらった大切なキーホルダーを、騙されて壊れたiPodと交換させられた窮地を救ってくれたのは、学校で知り合ったダンでした。彼が修理してくれて動くようになったipodを、今度はアンティーク人形と交換して価値を高め、サミはお金を稼いでいきます。難民として暮らしていた各国のコインを雑誌と交換してもらったり、サミが経験した悲痛な体験を聞いて援助してくれる人がいたり、友人たちの協力にも支えられ、広がっていく人との関係が楽器を取り戻す可能性を高めていきます。取引を重ねて、目標の金額に近づいていくサミ。700ドルを稼ぎ出すための10番目の取引は成功するのか。なんて、あらかじめ11番目の取引があることはタイトルからも予見されるところですが、思いもかけない取引が最後にサミに巡ってきます。

文化や考え方の違いがベースにあり、そのことを前提として考えていくべき物語です。ニューヨークにやってきた異邦人であるサミと祖父は、その過酷な経験から得たことだけではなく、アフガニスタン人としての元来の価値観を持っていました。精神的な支えであったルバーブを盗まれても、警察に届けようとしない祖父の態度も、神の導きや慈悲を信じている敬虔さによるものです。サミもまたニューヨークで親しくなった友人たちとの距離を測りかねていました。ラマダンの断食など自分たちの文化をここでも履行することが、自分が自分でいることでもある。ただ、こうした考え方や感覚の違いがヘイトを呼び寄せてしまうこともあります。アフガニスタンは、我々からすると暴力や非道がまかり通っている世界のようにも見えるし、厳しい宗教上の戒律と、民衆を抑圧する支配との区別も、曖昧にしか理解できません。なぜそうした世界であるのか、腑に落ちないのです。例えばムスリムの女性が頭を覆うヒジャブが、イスラム過激派のテロと結びつけられ嫌悪の対象となることもあります。だからといって止めるわけにはいかないのです。信仰や信条は人間を支えている大切なものですが、その大切さについても、他の文化圏の価値観からは測ることが難しいものですね。イージーな曲解をせず、隣人と適切な距離をとるにはどうしたら良いのかと思います。ニューヨークの異邦人であるサミの戸惑いは、西欧的な価値観を持つ我々の感覚を逆照射します。こうした物語を読むことによって、異国の文化への理解も進むのだと体感的に思います。いや、本当に手探りだし、少しずつではあるのですが。