つきのふね

出 版 社: 講談社

著     者: 森絵都

発 行 年: 1998年07月


つきのふね  紹介と感想 >
欲しいものがあるからではなく、満たされない気分をスリルで埋めようと万引をする中学生たち。家は経済的には豊かだけれど、家族の結びつきは希薄で、自分がギリギリの気持ちで立っていることの支えになってはくれない。将来に希望はない。進路は「未定」ではなく「不明」。だって、来年、1999年7月がきたらノストラダムスの予言通り、世界は滅んでしまうのかも知れないのだから。万引き仲間から離れて、今は学校で一人きりになってしまっている中学三年生のさくら。彼女が唯一心を落ち着けることのできる場所は、万引きが見つかって捕まった時に助けてくれた青年、智のアパートの部屋でした。スーパーで働いている智は二十四歳の心優しい青年。でもちょっとおかしなところもあります。浮世離れした人の良さはともかくとして、きたるべき人類滅亡の日に備えて、みんなを救う宇宙船の絵をひたすら描きつづけている姿には、さくらもちょっとおかしなものを感じていました。かつての万引き仲間たちは、薬に手を出したり、警察にやっかいになるようなことにも手を染め、悪事をエスカレートさせています。さくらが心配していたのは、まだ万引き仲間にいる、親友だった梨利のこと。さくらが捕まった時のいざこざで、二人の仲には亀裂が入ってしまい、口をきくこともできなくなっていました。そんな梨利のことが好きな男子、勝田は、さくらと莉利を和解させようと、さくらにつきまとい、やがて智のアパートにも出入りするようになります。智とさくらと勝田は親しく話をするようになりますが、やがて、智のおかしさがだんだんと常軌を越え始めていることに中学生二人は気づきはじめます。

バブル景気の崩壊後の経済の失速感が、子どもたちの心にも影を落としていますが、この物語に登場する子どもたちは、親が失業したり、生活に困っているようなことはありません。さくらのお父さんは休みの日には接待ゴルフに明け暮れているし、お母さんも趣味のテニスを楽しんでいるぐらいで、ごく普通の会社員の家庭には、それほど大きな影響を与えているわけではないようです(実際、この当時、一番わりをくったのは、就職氷河期の影響を受けた学生たちですが、中学生たちには近い将来の暗雲が見えてしまった時代なのかも知れません)。そもそもこの中学生たちの周囲には、地道な労働や経済活動の姿は見えません。経済的困窮とは何か実感として理解していないけれど、自分の周囲の人間関係には疲れていて、将来に対しては漠然と希望的観測を持てない。そんな閉塞感と不安定感がここにはあります。お金には困っておらず、家族は険悪になることはないものの、結びつきも弱くなり、唯一つながりを感じている友だちとも、ささいなすれ違いで、それも失われてしまう。彼女たちにとって世界の終わりとは、結局のところ、何にも希望を抱けず、誰ともつながりあえないことかも知れず、この宇宙の中での孤独をしんしんと感じる、なんて大袈裟なようでいて、それこそが深刻な悩みなのです。

神経症の時代に突入しています。心を病んだ人間であふれている時代。さくらが罪悪感もないままにものを盗んでいたことも、善悪が正しく判断できない病気だったのかも知れません。心優しい青年、智も、また、おかしくなっています。智は父親の事業の失敗から、優秀な成績にもかかわらず進学をあきらめ就職したものの、心に歪みを生じてしまっていました。宇宙船の設計図を描くことで保たれていたバランスもついには崩れ、自覚のない自傷が始まります。さくらと勝田は、なんとか智に病院に行ってもらうように説得を続けますが、相手にしてもらえません。人間を救うものとは何か。さくらは、智や勝田や莉利との関係性の中で、誰かの気持を知り、思いやることで、少しずつ心の修復をはかっていきます。智の心を修復するにははどうしたらいいのか。中学生二人は自分たちの無力を感じながらも、智の昔の友だちとの「つながり」にかけてみようとします。立派な大人が導いてくれるわけではない、希望のない不毛の荒野で、それでも仲間と手をつなぎ、命の尊さを語ること。とくに理由があるわけではない心の危機と、あいまいな閉塞感という、この世界の怪物に、「つながる」ことで挑んでいく中学生たち。同じく森絵都さんの『宇宙のみなしご』などにも通じるテーマですが、この浅薄な時代を生き抜くサバイバルもまた、リアルタイムの子どもたちにとっては深刻な問題なのです。