出 版 社: ほるぷ出版 著 者: ジャクリーン・ケリー 翻 訳 者: 斎藤倫子 発 行 年: 2011年07月 |
< ダーウィンと出会った夏 紹介と感想>
1899年夏。テキサスの田舎町に住む少女キャルパーニアはもうすぐ12歳。綿花農場と工場を経営するキャルパーニアの家は、メイドや料理人を抱える裕福な家庭で、この町では名士とされていました。三人の兄と三人の弟にはさまれた、この家で唯一の女の子であることは、キャルパーニアに特別な境遇を与えています。いえ、けっして甘やかされているわけではないのです。青春時代を南北戦争で犠牲にしたお母さんは、いずれ一人娘を町の社交界にデビューさせたいと考えています。そのためにはレディとしての素養を厳しく身につけさせなければなりません。ところがキャルパーニアときたら、ピアノを習っても、練習曲より耳で聞き覚えたラグタイムを弾いて兄弟たちを踊らせる方が好きというタイプ。手芸は不得意だし、料理を覚えるのも苦手。活発で好奇心にあふれる彼女は、良家の花婿と結婚させられて「家事の終身刑」を言い渡される自分の未来に暗澹たる想いを抱いています。しかも、この夏、キャルパーニアは「ダーウィン」と出会っていました。直接会ったのではなく、ダーウィンが著した『種の起源』を手にして、キャルパーニアは自然科学に目覚めたのです。長兄がくれた革張りのノートに、キャルパーニアは自分が目にしたものの観察記録をつけていきます。実業家を引退して、独自の実験にいそしむ変わりものの祖父の「共同研究者」となったキャルパーニアは、科学的な態度でこの世界を記録します。19世紀末の牧歌的な田舎町の情景の中で繰り広げられるささやかな出来事を彼女の視線はどうとらえていったのか。清新な筆致で「進化」していく感性を描きだす、2010年ニューベリー賞オナー作品です。
世紀末のウィーンならぬ、世紀末のテキサスの田舎町に漂っているのは、終焉する時代の終末観ではなく、新しい時代への期待感です。電話や自動車などの最新テクノロジーに、おっかなびっくり人々が触れようとしている若い国の若い時代。新しい世紀が目の前に開けていく予感。そんな時勢であるのに、女の子に求められているものは、相変わらず、良き妻、良き母となることです。女の子らしいことが苦手なキャルパーニアは、自分の生きる道をどうにかして見つけようともがいていました。彼女の関心は自然科学や博物学にあります。でも、職業婦人になって自活することや、女性が大学に進むことを言い出したりしたら、旧弊した価値観の抵抗に遭います。何よりもお母さんの期待に背くことになる。現実の壁に落ち込むキャルパーニアに、祖父はキュリー夫人などの女性学者たちの活躍を教え、励まします。自然と人情が織りなす田舎町の情景と心象。因習的で窮屈ながらも、ここには古き良き、人と人との、そして自然との交流があります。ユニークな登場人物たちの個性と自然の美しさ、そして、芯が強く、それでいて、あえかに揺れてしまうキャルパーニアの心の模様を写し取る描写が丁寧で、実に魅力的です。
以前読んだホーキング博士のエッセイに、教皇庁に呼び出されて「宇宙の起源を解明するのはいかがなものか」と釘をさされたという話が載っていました。20世紀後半ではジョークのようにも思える話ですが、19世紀半ばに生物の進化の秘密を暴いたダーウィンの『種の起源』(1859年発行)は、キリスト教徒に衝撃を与え、禁書とされたり、読むことさえ危険視されていたようです。信仰と良識が未だ混沌としていた時代。信仰に仇をなすような考え方を持つことは恥知らずとされていました。『種の起源』が発行されて40年経った19世紀末でも、テキサスの田舎町の良識はさほど変わりません。そんな環境の中で、科学的真実を以って旧弊した世界の価値観に闘いを挑むのがキャルパーニアです。ありがちな「反逆のおてんば」ではないところが新基軸です。未来目線で見ればキャルパーニアの姿勢は実に正しいものだと思います。しかしながら、ふと、科学的真実よりも大切にすべきものもあるのかも知れない、と考えてしまうところもありました。それは、この物語に描きだされている「面倒くさい日常」の奥深さです。頭の固い人たちがいて、考え方の対立があり、ままならない思いをすることもある。世代の新旧や信仰の違いで、信じる正しさは異なり、小さな衝突が沢山おこる。そういう時代のあれやこれやをすべてをひっくるめて、なんだかんだ言っても、オールドデイズはグットデイズだった、と思わされる魅力的な空間がここにありました。丹念に描きだされる、たわいもないエピソード。そこにこそ滋味がある。退屈でいて、大切な時間をつなぎとめる、これこそが物語の精華なのだと思わされる作品です。