嘘吹きネットワーク

出 版 社: PHP研究所

著     者: 久米絵美里

発 行 年: 2020年12月

嘘吹きネットワーク  紹介と感想>

「勇気凛」と名乗るアカウントからの「野瀬小学校では、みんなでカワウソを飼っています」というSNSへの投稿は話題を呼び、拡散されていきますが、やがてこれは偽画像を添付した根拠のないデマだということが判明します。しかし、当の野瀬小学校では、この件で多くの児童たちがSNSに関心を持ち、ネットワークに参加するようになります。ところが学校のグループトークにもまた、デマがまき散らされて、誤った情報が広まっていきます。それは合成された妖精の動画であったり、偽の学校行事の練習スケジュールだったり、ありもしない安売りのニュースだったり。野瀬小学校の六年一組の学級委員長である小野寺理子は、こうした風紀の乱れを憂い、デマ情報の発信源を突き止めようとします。嘘の画像や動画の作成依頼を受けてくれるという噂の八吹写真館に赴いた理子は、そこで八吹錯と名乗る少年と出会います。問題の画像や動画作りをあっさりと認めた錯は確信犯です。嘘を広げることで、子どもだって、どんな情報を信じたらいいのか自分でコントロールでき、嘘を見極められるようになるのだと錯は理子に説きます。悪びれない錯の態度に理子はエキサイトします。直情型で興奮しやすい理子は、嘘は悪なのだとまくしたてますが、クールな錯は論理的に理子に自論を展開していきます。しかも特殊能力「嘘吹き」の継承者であるという錯は、文章やスマホの画面に息を吹きかけ、そのゆらぎを見極めることで嘘を見抜けるというのです。錯に反感を抱きながらも、理子は錯のその特技を利用して、クラスに起きている偽情報から引き起こされたトラブルを解決しようとします。理子と錯、タイプも信念も違う二人の交わす問答が面白い、現代を照射したテーマを孕んだ一冊です。

嘘から出るマコトもたまにはあります。それでも、嘘は嘘であり、悪意を持って人を騙そうとすることが許されるはずはありません。さらに問題なのは、嘘を真実だと思い込んでしまい、良かれと思って拡散していく人がいることです。そこには人間の複雑な心理が巧妙に作用しています。錯は理子に、何故、人は嘘を拡めてしまうのかを例を引きながら説明していきます。理子はその言葉に関心はするものの、錯の斜に構えた、とりすました態度に好意を持てません。クラスで起きる誤情報からの諍いを、教室でもネット上のグループトークでも声をはりあげて懸命に阻止しようとする理子。情報を調査し、さらに錯の「嘘吹き」の力で情報の真偽を見極めた理子は「真実」を皆んなに告げますが、その「つまらない事実」は、理子のオリコーさを揶揄されるだけに終わるのです。ネットを媒介にして拡がっていく嘘を憎み、その火種をエキセントリックに消してまわる理子と、それを傍観しながら、別の視座から理子を諭していく錯。理子が胸に秘めていた、彼女を駆り立てていた本当の理由が明らかになっていくクライマックスや、そんな理子をからかいながらも、的確なアドバイスを与える錯との関係性が非常に面白いのです。終始、自分のことで懸命だった理子が、錯に気持ちを寄せていくようになる、終盤のハッピーな塩梅など、心の変遷もまた見どころです。小学校六年生の子たちの、子どもじみていたり、大人びていたりする部分がないまぜになった温度感。教室で奮闘する理子と、学校の喧騒を離れたところで見守っている錯の思惑。何が正解なのかと考えさせる思考の試行錯誤を促す物語です。

現代のメディアリテラシーについて、小学生二人が問答を交わすことで、多角的に考察されていきます。児童文学作品の中でのネットの描かれ方は、功罪半ばするどころか、むしろ害の方を捉えられがちです。便利ではあるが、誤った情報も拡散されるものだから疑った方が良い、というのは、このネット世界が既に汚れたものになっているという前提に立っています。この物語の根底にはネットコミュニティの価値を尊ぶスピリットがあります。だから、ただネットの情報を疑うことだけを鼓舞する安易なメディアリテラシー教育に疑義を唱えるのです。情報の真偽よりも大切なものがある。それは、情報の奥にあるものが自分の信じる道に合っているかどうかを見極めて、それを行動につなげられる力だと錯は主張します。だから嘘を肯定するのかと、当初、理子は錯の真意を理解できません。それが物語の終わりには、ちゃんと理子にも腑に落ちるあたり、実に見事な展開なのです。錯の考え方には、自分自身がネットコミュニケーションによって救われた経験が前提になっています。年齢が離れていたり、社会的に距離のある人たちの心を繋げることもネットには可能です。だからこそフェイクニュースなどのマイナス要素によって、ネットの評判が落ちたり、ネットへの警戒感をあおるだけのメディアリテラシー教育に、錯は異議を唱えるのです。この「ネット側」を擁護するというスタンスはあまりないもので、便利以上の「理想」をネットに見出している稀有な物語となっています。自在に嘘をつける場所だからこそ、嘘をつかない勇気。嘘に騙されないようにすることよりも、嘘に宿っている大切な愛を見つけ出すこと。そのためには陳腐な良識を蹴飛ばしても良いのだという潔さがここにはあります。なかなか沁みる物語です。