声の出ないぼくとマリさんの一週間

出 版 社: 汐文社

著     者: 松本聰美

発 行 年: 2014年10月

声の出ないぼくとマリさんの一週間  紹介と感想>

学校生活において、いじめに遭うことと、嫌われることは似ているようで、やや違いがあります。いじめの理不尽さにはまだ抗える部分があるものの、嫌われることについては、どこか抵抗しようがないところがあるのです。相手に対してではなく、嫌われる自分に非を感じてしまうからか。嫌われることで人は深く傷つきます。別に危害を加えられるわけでなければ嫌われても構わないし、「嫌いでけっこう、好かれちゃ困る」という買い言葉を本心から言えれおばノー問題です。とはいえ、人はそこまで強くないし、嫌われることを恐れるのは誰しもでしょう。ところで、嫌いという気持ちを抱くことはあっても、相手にそれを伝えることがないのが大人です。利害関係だけではなく、人が傷つくことを極力避ける配慮を、嫌いな人に対してでさえ行うのが良識ある行動だからです。その点、子どもは遠慮なく、はっきりと口に出してしまう困ったところがありますね。自分が好きな相手にそんなことを言われては、返す言葉もないのです。つくづくヤワなハートでは学校を生き抜いていくことができないものだと思います。デリケートな少年である真一は、友人のそんな言葉に傷つき、言葉を発することができなくなり、学校に登校できなくなっていました。いわゆる緘黙状態です。そんな折、二人で暮らしていたお母さんが仕事で海外出張することになり、真一はお母さんの友人のマリさんに預けられることになります。初めて会った、ちょっと変わった人であるマリさんに戸惑いながらも、この経験が真一を変えていく契機となります。国内児童文学としては異色の題材が扱われている作品ですが、人がタフに生きていくことの本質を穿った力強さがここには描かれています。

マリさんが暮らしている街、三鷹。そこにある古いアパートで一週間一緒に住むことになった真一。お母さんの幼馴染みだという初対面のマリさん。真一が声を出せない事情をわかってくれているマリさんは、真一を気づかいつつ一方的な会話を続けてくれます。真一が驚いたのはお化粧もしている女性であるはずのマリさんにヒゲがあること。マリさんは女装している男性だったのです。子どもの頃から真一のお母さんに守ってもらっていて、その恩義を感じているというマリさん。真一も次第にフレンドリーなマリさんと、ここでの生活に慣れていきます。夜、スナックに勤めているマリさんのために料理を作ったりしながら、もっと親しく話をしたいと思うものの、やはり言葉をとりもどすことはできない真一。そんな彼の転機となるのは、マリさんがスナックのお客さんになじられ、バカにされているところを見てしまったことです。けっしてキレイな女の子のようには扱われることのないマリさんが、こうした仕事をすることにはタフなハートが必要だったのです。マリさんの強さと、真一に寄せてくれる気持ちが、少しづつ真一の心を動かしていくようになります。

この物語の舞台が三鷹であることには大いに意味があります。近くに流れる川(玉川上水)で入水自殺をした作家がいることを真一は教えられます。名前はあげられませんが(似顔絵のイラストはそっくりですが)、言わずもがなの太宰治であって、真一は同じ三鷹にある禅林寺の墓にも詣でています。この物語では人が「死に引き寄せられる」ことへの言及があります。真一が生まれる前に登山で命を落としたお父さんは、何を考えていたのか。嫌われて消えてしまいたいと思っていた自分の気持ちを真一は省みることにもなります。嫌われようがどうしようが、凹むことなく、強く生ききていかなければならないのです。どんなに人に侮られようが、馬鹿にされようが気にしてはいけない。これは現代のような人に承認を求めることに依存しがちなトレンドと逆行するものです。これこそが無頼です。死んでしまった無頼派の作家をもまた越えて行かなくてはならないのです。嫌われようとも自分のスタイルで生きる、イレギュラーな生き方を選んだマリさんの覚悟に真一も心を動かされたのだと思います。とはいえ、あえて口さがなく言って、マリさんはオカマです。こうした登場人物をいかがなものかと容認しない読者もいるのが、児童文学の世界であり、多くの批判も受けるでしょう。それをあえて受けて立つ気概を持つということ。いや、人の反感と闘うことは、けっこうしんどいことなのですけれどね。タフさと優しさが欲しいものです。