パンプキン・ロード

出 版 社: 学研プラス

著     者: 森島いずみ

発 行 年: 2013年02月

パンプキン・ロード  紹介と感想>

この作品が2013年2月に刊行されたことに驚かされるのは、2011年3月の東日本大震災からまだ二年が経過していない段階だったからです。あの時の津波で母親を亡くした女の子の物語。これは非常にデリケートな題材だと思います。あの震災で家族を失った子どもたちが数多くいる中で、同じ境遇の子どもの心情を描くことの難しさを思います。心の傷はまだ癒えてはいない頃です。だからこそ、励ましに満ちた心の再生の物語と読者との関係が結ばれたのかも知れません。東京に住む小学六年生の女の子、早紀。お父さんは幼い頃に事故で亡くなっており、お母さんと二人で暮らしていました。劇団員として全国を公演で飛び回っているお母さんが、宮城県に向かった日、あの震災が発生します。地震に続く津波の被害にあった東北地方から多数の悲報が届く中、早紀もまた連絡がつかないお母さんを心配する気持ちを募らせていました。二万人を越える行方不明者。次第に判明していく死者の数。お母さんの不在中にいつも早紀の生活の面倒を見てくれていた、お母さんの友だちの真由さんと一緒に現地を訪ねても、見つかったのは劇団の移動用の車の残骸だけ。他の多くの行方不明者と同様に遺体も見つからないまま、亡くなったと推定するしかない状況でした。過酷な日々を生きる早紀が、それでも少しずつ回復していく過程が描かれる物語です。幸福な大逆転はない、という前提のもと、失われたものを受け入れ、これからを生きていく早紀の姿が胸をうちます。

一人きりになってしまった早紀は、山梨県の八ヶ岳のふもとの町で暮らしている、お母さんの父親であるおじいさんと一緒に暮らすことになります。今まで一度も会ったことのないおじいさんは七十歳で、木を彫って、いろいろなものを作りながら、一人で暮らしていました。早紀は、今までおじいさんに一度も会ったことがなく、お母さんからもおじいさんがいることを教えられていませんでした。果たして、おじいさんはぶっきらぼうで、東京からやってきた真由を大げさに歓待することもなく迎え入れてくれました。新しい生活を不安に思いながらも、なんとかなるよ、と早紀は自分にいいきかせます。一日中、作業場にいるおじいさんと暮らしながら、早紀はここでの生活に溶け込もうとします。それでも、たまにおじいさんが浮かべる笑顔に気持ちを救われることもありました。転校する小学校は生徒十人しかいない分校でしたが、早紀はさっそく友だちを作り、ここでの生活をスタートさせます。早紀はおじいさんと親しく会話するわけではありませんが、気持ちを込めて木を彫るおじいさんの姿を見て、自分もお母さんの像を彫りたいと思うようになります。おじいさんの協力によって、早紀はお母さんの像を仕上げることになりますが、この人形作りがトラブルを引き起こすことになります。まあ、一難さって地は固まっていき、おじいさんとの関係性も深まっていく結末となるのは想定内ですが、物語の味わいは未知数です。

母親を亡くした直後に、母親のことを他の大人から聞かれて、その事情を説明させられるというのは、かなりハードなことです。大抵、憐れみのような視線を投げかけられることになるわけで、悲しみはより増幅していきます。自分も小学生の頃に実体験として感じてきたことですが、わりと酷なものです。それを越えていかなければいけないのです。真由さんや清里のペンション「ぱんぷきん」の人たちや新しくできた友だちのお母さんも、皆んな、早紀の事情を汲んで、優しくしてくれます。ありがたく、感謝すべきことなのですが、自分の中で折り合いをつけ、感情をコントロールできないと泣いてばかりいることになります。グッと我慢するしかありません。こうした気持ちをおじいさんもまた抱いていることを早紀も知ることになります。おじいさんとお母さんの相克については、早紀も詳しくは知ることはありません。寡黙なおじいさんの心中が浮き彫りになっていくことで、早紀との距離は縮まっていきます。同情ではなく、共感し、誰かと気持ちを沿わせていくことが、悲しみに耐えうる方法なのかも知れません。早紀と同じ境遇にある子どもたちもまた読者として、この物語を受け入れ、共感することができたのでしょうか。ちなみに「パンプキン・ロード」というタイトルはこの物語の舞台になった場所がカボチャの名産地だからです。ケーキにも煮っころがしにもなります。「ドテカボチャ」というフレーズもキーになりますが、「ドテカボチャ」って「土手カボチャ」だったのですね。いまだに初めて知ることは多いものです。