出 版 社: 国土社 著 者: ニーナ・ボーデン 翻 訳 者: 西村醇子 発 行 年: 1998年09月 |
< 家族さがしの夏 紹介と感想 >
十三歳の少女、ジェーン・タッカー。船の機関士のお父さんは、海外航海ばかりで滅多に家に帰ってこられません。お母さんも小さな頃に死んでしまったので、彼女は親族のちょっと変わり者のおばさんたちの家に預けられています。でも、お父さんが搭乗している船のキャビンを訪ねた時、飾られていた一枚の写真からジェーンは知ってしまいます。お父さんには、自分以外に「家族」がいるのだということを・・・。ということで、のっけから重い話です。要は、お父さんはジェーンが知らない間に再婚していて、奥さんと子どもたちと別の家で暮らしているようなのです。自分は会ったことのない妹と弟、そして奥さんが写った写真。さて、こんな衝撃の事実を知ってしまったジェーンは、お父さんの前で、どうふるまったのか。自分だけ除けものにされて、親戚の家に預けられたまま放っておかれているなんて。普通なら、ここで激怒してお父さんに詰め寄るか、それとも、おおいに傷ついたまま沈黙してしまうものかも知れません。でも、ジェーンが口にしたのはこんなセリフ。『誕生日を教えてくれたら、ふたりにプレゼントを送るんだけれど』。だって、妹と弟の写真が、とても可愛らしかったから。これは、なかなか痛いのです。結局、ジェーンはとても傷ついてしまうのです。彼女が傷ついたのは、自分が知らない家族がいたことではありません。お父さんが、今日は「写真をしまい忘れていた」のだということを知ってしまったからです。お父さんは、自分がくる時には、いつも家族のことを隠していたんだ・・・。豊かな感受性を持った女の子の繊細な心の機微を、実に巧く捉えた魅力的な一冊です。
ジェーンの性格がかなりユニークです。彼女のバイタリティ溢れる性格は、マイナスな状況をプラス志向で捉えます。でもちょっとはじけすぎなところもある。まだ会ったことのない自分の家族に会ってみたい。でも、お父さんは、詳しいことを教えてくれない。お父さんは、一体、どこで家族と一緒に住んでいるのだろう。まだ会ったことのない自分の妹弟は、どんな子たちなんだろう。お姉さんが急に訪ねてきたら、どう思うんだろう。ジェーンは、ひとつ年下のボーイフレンド、プレイトーに相談して、調査を開始します。このプレイトーという少年がまた一筋縄でいかなくて良いのです。頭の回転が速くて、そして、どちらかといえば単純で素直なジェーンよりもモノがわかっている大人な子です。この二人のやりとりが凄く面白い。プレイトーはジェーンに、自分たちは昔のスープの広告の『お母さんが料理している暖かそうな台所を寒い通りから、のぞきこんでいる子どもたち』みたいだと言います。プレイトーもまた、ちょっと家庭に事情がある子でした。二人は「はみだしっ子」同士だってプレイトーは言うけれど、ジェーンはそんなふうには思っていない。むしろ、年下の子をボーイフレンドにしていることを、同級生にはりあっている手前、ちょっと恥ずかしく思ってしまったり、そんなふうに思っていることをプレイトーに知られて、気まずくなってしまったり、そんな感じの子なのです。色々と戸惑うことの多い十三歳の心のドラマは、実に魅力的で愛しくなってしまうのです。さて、他人になりすまし、うまく妹弟に近づくことができたジェーンですが、そのことで、過去に秘められた記憶がやがて目を覚ますことになります・・・。続きは是非、本書をご覧ください。ジェーンの感受性のゆらぎが実に素敵なのです。
この作品の原題は「The Outside Child」というのだそうです。本書の中に出てきた「はみだしっ子」という表現は、この原題を訳したものかも知れません。自分たちは、幸福な家庭を、寒い通りからのぞきこんでいる子どもたちなんだなんて自虐的な自称は、まさにアウトサイドからの視点です(スープの広告の話は、おそらくキャンベルではないかと思いネット上で探してみたけれど見つかりませんでした)。ちょっとニヒルで自嘲的なプレイトーと違い、ジェーンは、自分を、かわいそうな子じゃない、と思っています。普通の家族の外側にいるけれど、あわれじゃないんだよと。だから、積極的に「知らなかった家族」にアプローチしていきますが、なかなか難しい局面に向かい合うこととなります。物語の終わりにプレイトーは「ジェーンの子ども時代の終わりだ」と言います。たしかに、この事件は、ジェーンに苦い思いも経験させることになります。でも「はみだしっ子」の自己規定をジェーンがすることはありません。寒い通りの、自分が立っている場所にだって、ちゃんと家族がいてくれることがジェーンにはわかるのだから。読み応えある心のドラマを、味わえる作品です。