![]() |
出 版 社: 岩波書店 著 者: ユリア・ラビノヴィチ 翻 訳 者: 細井直子 発 行 年: 2025年03月 |
< あいだのわたしたち 紹介と感想>
本書の前作にあたる『あいだのわたし』は、実にしんどい作品でした。とあるドイツ語圏の国の難民支援施設で、亡命申請が認められるのを待つ、自分の国の紛争と弾圧から逃れてきた家族。施設から地元の学校に通えるようになった長女のマディーナはドイツ語を覚え、普通の学校生活を送りはじめます。とはいえ、滞在する施設は環境が悪く、申請はなかなか通らず、その申請に際して、断固としてドイツ語を覚えようとしない父親をマディーナはサポートしなければなりません。家族にはそれぞれのいらだちがあります。特に父親の焦燥は激しいものです。自国で看護師だった父親は、軍事政権に協力しなければならない立場であったのに、国を捨てたことで裏切者とされ、命を狙われています。国には年老いた母親と弟を残しており、長兄としての責任感にも苛まれています。この家族は、どこの国の出身であるかは明確にされていませんが、倫理観や考え方も厳格で、男権が強く、父親は怒鳴りちらすこともあります。だからこそ、言葉が話せず、仕事にもつけないことは彼を追い詰めています。新しい世界で、少し自由を得て、普通のティーンとして過ごしているマディーナは、こうした父親や父親の言いなりである母親に溝を感じており、父親もまた娘の行動に腹立ちを覚えることもあります。マディーナ視点の物語は、難民であるということを除けば、家族や友だち関係で悩むごく普通のティーンの心象であり、だからこそ、難民であることの足枷が重いのです。亡命申請がなかなか通らないまま、停滞する家族にさらに降りかかった問題は、国に残された家族が拘束され、父親が出頭しなければならなくなったことです。行かなければ国で母親の面倒を見ている弟が殺され、行けば自分が殺される、そんな『走れメロス』的な状況に、無論、父親は長男としての責任を果たすための行動を起こします。さらなる問題は、こちら側に残された家族です。父親の政治的亡命というエクスキューズがこれでなくなり、立場が微妙になります。そんな多難な状況で、本書、『あいだのわたしたち』は始まります。
難民支援施設を出て、家族とともに親友のラウラの家の一階を間借りして暮らすことになったマディーナ。国に帰った決死の父親とは連絡がとれないまま、母親も心を傷めて、鬱状態となってしまいます。難民認定はされないまま、心許ない状態で暮らす家族の状況は変わりません。それでも普通の十五歳の少女として学校生活を送るマディーナでしたが、このところ、外国人を誹謗する落書きや、露骨に嫌がらせをする人たちが周囲に増え始めています。学校の中にもそうした子たちがおり、マディーナに嫌がらせをします。友人たちと協力して、難民を誹謗する落書きを消しても、その動きは収まりません。父親とは一切、連絡がつかない状態のまま、不審な郵便物も届き、状況のわからない母国の状況に心を痛めるマディーナ。そんな折、祖母が一人、衰弱した姿でこの国にたどり着きます。軍事政権に出頭したマディーナの父親は捕えられ、父親の弟も解放されないまま。危険が迫る中、一人、逃げてきた祖母。そうした暴力がまかり通る世界にマディーナは失望を重ね、そして、今度は、ようやく居場所を得たこの国も、人が悪意を隠そうともしなくなっていきます。つい挑発にのってしまったマディーナは、追いつめられることにもなります。難民排斥のデモが近隣でも行われ、暴徒化しつつある民衆に、マディーナの家族は脅威を感じます。それでもマディーナを守ってくれるこの国の人たちの助けもあり、窮地を逃れることは出来ました。ただ暴徒は沈静化しても、和解できたわけではないのです。無論、理解し合える関係でない。危うい共生を続けながら、それでもマディーナは、ここに自分の足場を築こうとしていきます。
まあ、父親もいけないのです。命の危険よりも、果たすべき役割を果たしたいと思ってしまうのは、雄々しくも身勝手な振る舞いです。残された家族は、ただ心配を募らせることになります。『あいだのわたし』の漠然とした不安や焦燥感よりも、はっきりとした心配を抱え、父親のことを思いやることになったマディーナがここにいます。そして、自らにも身の危険も迫っています。自分がヘイトを受ける哀しみだけではなく、自分が逃げてきた国と同じように、この場所が、人がいさかいあう場所になってしまったことへの哀しみもあります。ここもまた憎しみに溢れた不自由な世界になってしまった。そんな世界でどうやって、自由な心でいることができるのか。失望を越えて、人が希望を抱くにはどうしたらいいのか。少なからず、マディーナを支えてくれる、この国の人たちがいることは救いです。嫌がらせは続き、一方で、そうした人たちと対立するこの国の人たちもいます。その分断が進んだ先にあるものは何なのか。本書はフィクションですが、ヨーロッパで移民排斥を訴える極右勢力が台頭している現状を踏まえて、共生の願いと祈りを込めて描かれた物語です。人が他者と共生できないと考えるのは、自分に不利益があるからです。そもそも余裕がなく、他者に居場所をシェアすることが出来ないのです。寛容はどうしたら養われるのかは、大きな課題です。社会を良くする。誰もが豊かな生活と豊かな精神を持てるようになる。そんな理想は遠いわけですが、物語が読者に培ってくれるものがあります。こうした状況下であるし、社会的な問題にばかり目がいってしまうがちですが、本書の魅力は、やはり十五歳の日記として、思春期の戸惑いと未来への希望が描かれることであって、特にマディーナが自分を見つめて、考えを深めていくあたりが良いのです。自分の生まれた国は男権が強く、女性は、自分の母親のように夫に従うだけだけれど、新しい世界を知ったマディーナは、自分がこの世界でどう生きるかを、悩みながら見つけ出していきます。戻る場所はない。それでも未来はある。三部作、最終作の次巻は、マディーナは父親を探しに国に戻るらしく、そこで彼女が何を見出すのか、瞠目したいところです。
