波の子どもたち

파도의 아이들

出 版 社: 岩波書店

著     者: チョン・スユン

翻 訳 者: 斎藤真理子

発 行 年: 2026年02月

< 波の子どもたち  紹介と感想>

本書は脱北が題材となっています。北朝鮮、つまり朝鮮民主主義人民共和国から脱出する、あの脱北です。朝鮮半島に北と南の二つの国が存在する南北分断について考える際には、やはり日本統治時代が遠因にあることを意識しなければならないものと思っています。日本側の感覚ではなく、韓国や北朝鮮の人たちがどう思っているかということも。日本の歴史教育では触れられていないことも、近代現代史をさまざまな形で作品化する韓国エンタメの影響で知ることができます。たとえば、親日派という言葉が、日本を好意的に思っている人という意味ではなく、統治時代に日本軍に取り入って利権を得ていた人のことを示していて、いまだ一般市民からは嫌悪の対象になっていることなど、微妙なニュアンスを感じとることもあります。様々な見方を統合して推察する視点は必要かと思っています。中国から働きにくる朝鮮族の人たちや、脱北者の人たちが韓国社会の中でどう扱われているか。おそらくは演出によって、ありのままではないと思うものの、報道では知りえない温度を、色々な作品から感じとっています。多くの体験者に取材したという本書もまた朝鮮半島のリアルを知ることのできる作品です。北朝鮮から密出国する脱北者たちの事情は、主に貧困や飢餓、政府の圧政により自由を奪われた状態にあるからだと認識しています。南北分断に対しては、前述したような歴史的経緯があり、日本人としても思いを寄せるべきものと思っていますが、まずは誰しもが幸福に生きる道をともに模索すべきと考えます。本書は北朝鮮からそれぞれ一人で脱出することになった三人の子どもたちを主人公に、彼らの苦闘が描かれていきます。それは巧妙な脱出劇ではなく、偶然の成り行きによって思わぬ場所に運ばれてしまう予想外の展開であり、そこには運命に翻弄される子どもの無力さを感じます。脱北できても、幸福な居場所が約束されているわけではありません。下手を打てば、本国に連れ戻されて、処刑されることもあります。あるいは人身売買などの犠牲になることも。それでも危険を冒して、国境を越えるのは、人間らしく、自由に生きたいからです。その想いは国を越えた、人間の共通の願いです。その行く末が無事であることを願いながら、まずは彼らの道程を見守りたいと思います。

北朝鮮の農村部。強制労働に連れていかれるトラックから逃走を試みた十六歳の少女、ヨルム。それに巻き込まれる形で自分も逃げることになった同い年の少女、ソル。過去にも何度か逃走を試みて、失敗している二人は、それでも今度こそ自由を得るために、豆満江(トマンガン)を渡って国を出ようと試みます。二人はそれぞれのルートで国境を越えて中国に入ります。ヨルムは以前にも過ごしたことのある朝鮮族の自治区で、知り合いを頼って、とりあえず水商売をしながら様子を伺います。一方でソルは、頼った脱北ブローカーにだまされてモンゴル族の男性の結婚相手として売られてしまいま、さらなる逃走劇を重ねます。さて、もう一人、偶然の成り行きから脱北することになった同い年の少年がいました。都市部で、高位の役人の息子として育ち、サッカー選手になることを夢見ていたクァンミンです。彼の母親が脱北者のサポートを行なっていたことが当局に発覚し、一緒に逃げなければならなくなった緊急事態。ところが中国に向かう列車の中で母親は逮捕され、一人残された彼は戻ることもできないまま、たどり着いた中国の大都市で肉体労働をしながら無為に過ごすことになります。偶然、知り合った旅行者に、韓国に受け入れてもらえれば、国籍を与えられて、自由な生活を送れることを教えてもらったクァンガンは、タイの難民支援施設に向う途中で、それぞれの苦闘を経てたどり着いたヨルムとソルに出会います。いつ本国に送還されることになるか。なかなか前に進めない焦燥と不安に苛まれながらも、この道の先に希望を抱いて、三人は進んでいきます。

こんな状況だけれど、青春だな、という不思議な読後感を抱いた作品です。それぞれの逃避行は悲壮ではあるのですが、彼らには生きるためのバイタリティがあって、絶望はしないのです。自由を求めるエネルギーに溢れている。特に女子二人のへこたれなさには驚かされます。比較的裕福な家庭のクァンミンはそもそも脱北する気はなかったのに、突然、母親に連れられて中国行きの列車に乗ることになります。だから一人になってしまうと、何をどうして良いかわからない。なんとなく、韓国に逃げることを志向しているのだろうなと思いきや、韓国は敵だという教育を受けてきた彼は、韓国が自分を受け入れてくれるとは思っていないのです。北朝鮮にも戻れず、密入国者として中国で途方に暮れるしかない。なので、韓国に脱北者を受け入れてくれる制度があり、国籍を与えられ、経済的にも支援してもらえるという事実を知って驚くのです。さて、自分がなんとなく脱北に抱いていたいイメージは、ベルリンの壁を越えるように、三十八度線の鉄条網や地雷原をかいくぐって一気に韓国に先入するものだったのですが、実際は中国からタイに渡り亡命のために待機することがスタンダードらしく、自ずと物語のサスペンス感も違ってきます。長期間、中国に留まることはあっても、そこはゴールではないのでしょう。正式に亡命して難民として受け入れられなければ、本当の自由は保証されないのです。物語の終わりに、韓国への亡命許可が出ないまま長らくタイに足止めされている三人が、難民収容施設の壁を越えて海を見にいく場面があります。海を見たことがない三人は、道の先に本当に海があるのか半信半疑です。それでも海を見たいという衝動に動かされるのは、ずっと求め続けてきた自由を目にしたいからなのです。その海を初めて見た感動。波と戯れる子どもたちの歓喜。波打ち際でティーンの男女が、はしゃいでいるなんて、青春じゃなければなんだ、なのです。脱北も青春だというのは語弊がありすぎですが、自由を求めてほとばしる衝動やパッションには、どこかそんな面影がある気がします。