出 版 社: 汐文社 著 者: 中島信子 発 行 年: 2022年01月 |
< あしたへの翼 紹介と感想>
将棋には詳しくないのですが、戦況的に追い込まれて逃げ場所がなくなると、「詰む」という局面になると聞いています。この状況は、日常の生活でも起きうることだろうと思っています。人生が詰む。起死回生の一手、というものがあって、所謂「ゲームチェンジャー」が情勢をひっくり返すことは、勝負の世界ではあることかも知れないですが、本書のような、既に「追い込まれてしまった」主人公は、逆転するどころか、窮地から逃げ出すことも難しいものです。なにせ、ここは日常生活なのです。切り札はありません。現行のリソースをやりくりして、すこしでも自分が生き延びる環境を作らなくてはならない。でもどうやって。重度の認知症の祖母の介護を一手に引き受けざるを得なくなった小学六年生の主人公が置かれた状況は、実に巧妙に設定されていて、逃げ出す余地がありません。喜んでこの役割を担っているわけではなく、強制されているわけでもないけれど、やらざるを得ないのです。ここには複雑な心理拘束があります。この介護はかなりハードで、大人だって太刀打ちできるレベルではなく、外部の支援がなければ、消耗と疲弊が激しくて、音をあげてしまうものでしょう。コロナ禍のステイホームで、学校が休校になっている、という状況が、主人公の逃げ場をなくし、さらには施設に入ることも、外部に介護協力も頼めないという、コロナ禍黎明期の混乱も拍車をかけます。そんなピンチの中、主人公が垣間見たものは「下には下がいる」という、もっと凄惨な目に遭っている友人の状況です。これは、かなり凄い展開ではないかと。主人公を、この「我慢」と「辛抱」の煉獄から解放せねば、と読者は思うでしょう。複雑な家庭の事情と、生真面目な子どもの心理、そして、コロナ禍がもたらした、実は良くあるらしい、ヤングケアラー家庭のケーススタディ。子どもの心映えにフォーカスした児童文学として感慨深い作品ですが、過酷すぎて途方に暮れてしまう一冊です。なんとかせねば。
小学六年生の女子、理夢(りむ)の運命がおかしなループに入り込み始めたのは、父母と姉、家族四人が暮らす狭い団地の部屋に、祖母が一緒に暮らすようになったことからです。父親は長距離トラックの運転手で、泊まりがけで配送の仕事をしているため、家を不在にしがち。母親と父親の母親であると祖母はソリが合わず、この同居が始まったところから不穏な空気が漂い始めていました。そして、次第に祖母の認知症が悪化し始め、母親が自分のものを盗んだと言い出すあたりから、この関係性は破綻してしまいます。母親は家を出ていって、別の場所で暮らすようになり、理夢の姉もそれに追従します。理夢が母親について行かなかったのは、我が強くて、ワガママな気質のある母親よりも、気弱で優しい父親の方が好きだったからです。祖母の認知症は次第にひどくなり、すぐに物を盗まれたと言い出し、それを近所に吹聴して回ったり、排泄も自分ではコントロールできなくなっていきます。2020年の4月を迎えて、六年生になった理夢でしたが、折しもコロナ禍で学校は休校となり、自ずと、家で一人、祖母の面倒を見ることになります。料理はできないため、父親から与えられたお金で祖母と自分の食事を賄い、漏らしてしまう祖母のオムツを替え、排泄物の処理をする。泣き喚く祖母をなだめすかし、かといって要領よく介護などできるはずもない、子どもの理夢は次第に追い詰められていきます。友だちと顔を合わせることもなく、介護に必須なマスクも手袋もコロナ禍の品薄状態で購入もできない。同じ団地の人からは、排泄物を捨てたゴミの匂いをなんとかしろと言われる。そんな折、友だちの沙美が訪ねてきますが、彼女の両親はコロナでお店の仕事と給料がなくなり、父親はそのことが不満で母親を責め、暴力を振るうというのです。まだ自分は恵まれていると考えてしまう理夢ですが、実際、限界は近づいていました。さて、ここで物語は理夢をどう救い出すのか。過酷なこの2020年4月はまだまだ続くのです。
人が、詰んだ先に何が待っているのか。介護を苦に自殺する人もいるというのが現実です。コロナという特別な事情のために、介護支援が受けられないということは不運ですが、その皺寄せが全て小学生に回ってくるという状況は回避できないものなのか。端的に言って、悪いのは両親です。理夢は母親には祖母の面倒を見ることはできないだろうと見切っています。もはや自分がなんとかするしかないと諦めている。優しい父親は、売れなくて困っていたという沢山の花束をお土産に買ってきて、理夢を慰めようとします。また、それに喜んでしまう理夢もいます。この父親の邪気のなさが、理夢を苦しめることになります。本来は、子どもである自分が、こんな状況に追い込まれていることを怒るべきところを、なぜ引き受けてしまうのか。両親ともに、理夢には愛情があります。理夢もそれを感じ取っているために、親を責めることもできません。さらには、祖母が、人をやたらと泥棒と呼び、盗まれる妄想に苦しめられているのは、かつて離婚して別れた元夫から盗みを働かれていたという過去があるからです。祖母また恨むことができない。素直で真面目な良い子であるが故に、自分に振られた役割をなんとか果たそうとする健気さ。ただ、完全に人間疎外に陥っています。そんな理夢にとって何が「あしたへの翼」となるのか。巻末に作者は、中学二年生の十七人に一人がこうした介護を担わされている状況を記しています。物語の中には解決策がなく、ただ祈りと願いだけが結ばれている。読者は自分の家族を不幸のしないことを誓うしかありませんが、まずはこうした状況にいる子どもたちの現況を知るところからかも知れません。大変、ハードな作品です。