出 版 社: あすなろ書房 著 者: 吉野万理子 発 行 年: 2016年08月 |
< いい人ランキング 紹介と感想>
この物語の舞台となる、主人公が通う岬学校は不良だらけで荒れている、わけではないごく普通の中学校です。とはいえ、保身と悪意とエゴイズムが幅を利かせ、誰も信用できない魂の荒野なのです。「いい人」である善良な主人公はそんな場所で、なかなか過酷な目に遭います。タフでなければ生きていけない。この有名なセリフは、優しくなければ生きていく資格がない、と続くのですが、物語は主人公にタフであることを促し、後半部分は求めていません。むしろ、その優しさをすこし再検討して、自分勝手なった方が良いと諌めるぐらいなのです。優しさにつけこまれたり、自分の倫理的な正しさに縛られることで人は損をします。時には窮地に追い込まれます。狡智を駆使してでも、身を守らなければならない。この教えは社会を生き抜く上では大切なことです。つまりは「いい人」だけではいられないわけです。一方で、主人公の天然で「いい人」の気性が、この殺伐とした荒野に救いをもたらすという効用も認められます。善良な主人公が苦い体験を経て、それでも善良なまま、生きる知恵を身につけていく。まあ、危なっかしくて見ていられない、この主人公に救いの手が差し伸べられるのは偶然の成り行きですが、児童文学的な(吉野万里子さんは児童文学フィールドで作品を書かれても純正児童文学的ではないのですが)、セーフティネットがあるので安心して読んでいられます。いや、それこそが紡がれた希望なのかも知れません。善人が最終的には救われるべきと願いつつも、リスクに備えることへの警鐘には耳を貸さないではいられません。まず前提として、イジメがはびこったり、悪気なく人を陥れる学校のデフォルトをなんとかせねばならないのですが、これを人間の本性として一旦、見定めて棚上げしたところからスタートする物語の潔さは、なかなかインパクトがあります。そんな一周したところから物語が描き出すものに注目です。
文化祭でのミス岬中・ミスター岬中コンテストが学校からの要請で廃案になったのは、時勢というものでしょう。これは少なからず、生徒たちをがっかりさせます。文化祭を無難な企画でやり過ごした後、突如、浮上したイベントは、各クラスで一番の性格のいい人を決めるという「いい人ランキング」でした。二年一組で、これに圧倒的な票差で勝利したのは、木佐貫桃(もも)です。おっとりしていて、誰にでも優しく、人の悪口なんて言うことがない。純正いい人である桃は、この結果を好意的に受け止めて、より皆んなに親切であろうと考えます。授業や宿題のノートを貸したり、みんなの用事を代わってあげたりと嫌な役割を進んで引き受けていく桃。ところが、おっとりした桃も、教室での自分を取り巻く変化に次第に気づき始めます。桃への要求はエスカレートし、しかも嫌がらせめいた行為をされるようになっていきます。桃は薄々、自分がいじめられているのではないかと勘づいていたのですが、それを認めることは彼女の気質上、難しいことです。実際、この「いい人ランキング」が桃を陥れるための策略だったと、桃は後日、知ることになります。悪意のある同級生はいるものなのです。シングルマザー家庭で切り詰めた暮らしをしていた桃。ところが、母親が地域の大病院の次期院長と言われる医師と再婚したことで、小さなアパートから大きな家へと引っ越すこととなり、生活レベルも一変していました。苗字が変わったことぐらいしか気にされないと思っていた桃は、その、いい子キャラが、金持ちと結びつくことでの悪影響を考えていなかったのです。ウザい子としてハズされてしまった桃は、この状況を克服するため、要領の良い一歳下の妹の鞠が親しく「師匠」と呼ぶ、自分と同学年の尾島君に相談することになります。やはり「いい人」に選ばれた人気者の尾島君の、狡智に長けた処世術と覚めた人間観に、桃は驚かされます。そして、クラスでいじめられている状況を覆すための作戦を伝授され、他意もないままに実行することになりますが、これが教室のパワーシフトを大いに揺るがす事態を引き起こします。痛快と言えば痛快。けれど苦いものが残る物語を、桃の「いい人」ぶりが中和する感慨深い作品です。
善良な姉と狡智に長けた妹といえば、マルキド・サドの『美徳の不幸』が思い起こされます(子どもたちには絶対、見せてはいけない禁書です)。善良な姉は人としての美徳を信奉するあまり、どんどん不幸になっていき、一方で悪徳も辞さない妹は成功します。この物語もまた、善良で鈍臭い姉と、要領の良い妹が対比的に描かれています。自己犠牲を厭わない姉は、実際、ひどい目にあわされます。余計なことをせず、大人しくしていれば良いのに、火中の栗を拾って大火傷するタイプです。一方、妹は入念なリスクヘッジで、降りかかる火の粉をあらかじめ避けています。万事、妹の方が賢く器用に世の中を渡っているのです。姉が母親の病状を案じている時に、妹は自分の恋愛沙汰を優先します。妹の態度が納得いかない姉に、義父は、妹の生き方の方を推奨します。タフに、軽やかに、トラップに引っかからないように、時には自分で落とし穴を掘って、人を落としてでも生き延びる。世の中の悪意から逃れるには、そんな振る舞い方を習得するしかありません。無論、自分の善なる信念を貫くためには損をしたって構わない。そんな心意気もあるかと思います。とはいえ、程度の問題はあって、ちょっとした損では済まないこともあり、上手く立ち回るに越したことはないはずです。結局、桃は、我知らず、自分をいじめていた子が、逆にいじめられるように陥れてしまい、自らは生還を果たします。その行為に罪悪感を持ってしまうのが、桃の「いい人」たる所以です。教室の気まぐれなパワーシフトのデタラメな有様。人に対して真摯に優しくあることなんてバカバカしい話です。じゃあ、自分は、そんな世界でどう在るべきか。物語は常に反語を孕んでいます。処世術の教本でも、学校サバイバルのノウハウ本でもない物語が伝えるところがそこにあります。