バスを降りたら

出 版 社: PHP研究所

著     者: 眞島めいり

発 行 年: 2023年02月

バスを降りたら  紹介と感想>

不合格や落選に耐える気力がなくなって、エントリーすること自体を避けるようになって久しいです。幸い定職があるので、資格試験や公募に挑む、ぐらいなのですが、もう年をとって、今さら感もあり、そういうチャレンジをしなくても良くなったつもりでいます。ぐうたらで臆病な自分を赦してしまうのは、存外、さびしいことではあるのですが、やはり落ちるのはキツイものです。若いうちはどんなに失意にまみれても、まだ将来のため活路を見つけ出さねばならず、リベンジの機会をうかがったものでしたが、そうした苦節をバネにするマインドを維持することは疲れます。児童文学は概して、最初の試練である中学受験に「失敗した側」を主人公に物語を描きます。時には、志望校に受かったけれど、望んでいた学校生活ではなかった、というような姿も描かれます。高校受験で失地をとり返す。リベンジのために勉強を続ける。その緊張感を維持するには、現在の中学生活を楽しむわけにはいかないのです。口惜しさや不満を自分の中でくすぶらせて原動力にし続けるしかない。それも辛い毎日です。本書は中学受験に失敗した男子と、その学校に受かって通っている女子が、同じ通学のバスで乗り合わせるころが起点となった物語です。自分が落ちた学校の制服を着た見知らぬ子に対して抱く気持ちは複雑です。一方で、女子はあるきっかけから、その男子が気になりはじめます。口をきくことも、目を合わせることもない。そんな二人のそれぞれの中学校生活と、心の軌跡が描かれます。最後まで読むと、ええっ、ここで終わりなのかと驚かされます。200ページ弱の比較的短い作品で、この倍あってもいいとリクエストしたいぐらいです。逆に、残された余白を味わうことができる、繊細で綿密な作者の筆致の冴えを実感できる作品でもあります。

両親が通っていた峰森高校の附属中学に入ることを目指して勉強してきた律(りつ)は、試験当日の不調で結果が出せず不合格となり、かといって公立に進むことも恥ずかしく、合格した他の私立中学を選択しました。入学して半年以上経っても、律は志望校に不合格だったことに失意を覚えています。いつも通学バスで、峰森高校附属中学の制服を着た子と乗り合わせることに不快な気持ちを抱くほどです。不合格を知った時の両親の残念そうな態度を思い出すと、なんとか高校受験でリベンジしようと律は勉強を続けています。自ずと通っている学校には愛着がわかず、積極的に友だち付き合いもせず、クラブ活動にも参加していません。そんな折、先生から小学生向けに行う学校説明会のための学校紹介のプリントを作ってくれないかと頼まれます。ありきたりな内容でお茶を濁そうとするものの、先生は納得してくれず、心から推せるものを伝えてほしいと言われ、律は困惑します。しかし、一緒に紹介文を作ることになった、ちょっと変わった同級生の少年、志鳥(しどり)がこの学校に抱いている愛着を知り、律は自分が志望校に通えなかったことの被害者意識で不遜な態度をとっていたことに気づきます。ここから律に新しい世界が広がりはじめます。一方、律がいつもバスで乗り合わせる女の子、奈鶴(なづる)もまた、名前も知らない律のことを気にしていました。バスで具合が悪くなった人に躊躇なく席を譲るその毅然とした態度に、自分もそうなりたいと憧れを抱いたのです。まだ自分の将来や目標を決めかねている奈鶴。同級生の恋愛話を聞いて、律のことを思い浮かべるものの、まだその想いは漠然としています。家庭教師からの影響も受け、奈鶴がささやかな勇気を発揮して自分の世界を広げていく物語と、律の物語はやがて同期する瞬間を迎えようとします。互いに相手のことを知らない同士が、それでもどこかで繋がっている。迷える中学生たちが新しい世界を見つけ出す物語は、見えざる運命の糸に操られて、いえ、彩られて、やがてひとつに結ばれていくのです。

それなりに志望校だったはずなのですが、自分も入った大学に愛着がなくて、今も大学対抗のスポーツで出身校が躍進しているニュースを見ても、横目で流しています。色々な競技で、よく名前が出る学校ですが、在学時からわりと冷めた態度でした。なのに先生が学生部に自分を推薦して、大学案内の原稿を書けと言われたことがあり、困惑したことを本書を読んでいて思い出しました。なんか書きましたが、苦い記憶です。愛がないと良い紹介文は書けない、というのは実感するところです(それは本のレビューを書くことも一緒ですね)。当時、同級生でやたらと自分たちの学校の悪口を言う人がいて(当人的にはもっと上のランクの学校に行きたかったらしく)、それはそれでこの学校の学生である自分たちに対しても失礼ではないかと思っていました。いや、自分も口には出さないものの、本質は変わらなかったのかも知れませんが、人前でどうふるまうべきかは考えさせられました。本書の主人公の律の気づきは、自分の思惑は置いておいて、誰かにとって大切な場所は尊重すべきだという真理です。商売をやっていると、自分では欲しいと思わないものを売る、という局面に遭遇することが茶飯事です。「誰か」の気持ちを想像すること。共感はできなくても、リスペクトを持って尊重すべきなのでしょう。そこから自分にも新しい発見が生まれます。人にはそれぞれ愛の形があり、趣味や好みは違います。かくして人と関わる中で、少年の世界は広がったわけですが、今後の受験にかけるパワーは削がれてしまった気もします。人間として解放されるのは志望校に受かってからで良い、との説もあります。それは、人生をもっと有意義に生きるには、という命題との天秤です。総合的に判断すべきことなんですが、自分は年をとっても、まだどちらが良いと中学生に言えないですね。