出 版 社: 徳間書店 著 者: 梶尾真治 発 行 年: 2000年09月 |
< おもいでエマノン 紹介と感想>
普通の人間が持ち得ないような特殊な能力や、奇跡的な体質を持ってしまったがために、選ばれし者の恍惚と不安の日々を生きざるをえない宿命が、物語の中ではよく描かれます。人に知られれば命の危険すらある能力。そうした孤高の主人公といえば、やはり男性が浮かんできます。メジャーなSF作品で言えば、触れただけでその相手の未来の予見ができるようになってしまった男を描いたキングの『デットゾーン』や、将来、人類の未来を担う子どもの危機的状況を事前に察知してしまう男を描いたクーンツの『コールド・ファイア』などを思い出します(クーンツの主人公って、だいたいそんな感じでしたね)。こうした「能力」を持ってしまった彼らは「普通の体力の人」でありながら、救世主的な活動を起こさないと「赦されない」気持ちになってしまうため、身の丈以上のハードな生活を送らざるをえなくなります(大変ですね)。能力者であるための責任感に苛まれる姿には悲壮感さえ漂ってきます。宮部みゆきさんも超能力者の悲しみを描きたいと言われていて、彼女のSF作品にはそうした傾向が伺えます(クーンツのファンだと自称されてもいました)。こうした超能力者で女性主人公で有名どころといえば筒井康隆さんの火田七瀬かなと。人の心を読み取る能力を持った彼女の場合、傍観者としての役回りが主で物語の狂言回しですらあり(最終巻は違いましたが)、それゆえに人から憧れられる美しくも神秘的な存在感を湛えていたのかなどと思います。本書の主人公エマノンも特異な体質の持ち主でありながら、本人が葛藤するというよりも、彼女の周囲で苦悩、葛藤する人間たちを冷静に観察する役どころが与えられています。その神秘的な存在感はこの文庫版での鶴田謙二さんが描くエマノンの個性的な美しさと調和して魅力を発揮しているように思えます。
エマノン(EMANON)、NO-NAMEを、逆さから読んだ名前。誰でもない匿名の存在であることを自称する彼女。個にして全。彼女の一族は、代々、母親からの記憶を受け継いで生まれてきます。娘を産んだ母親は、すべての記憶を、娘に譲り渡し、自分の役割を終える。生まれた子は生まれながらに過去の記憶とともにある。母や祖母、先祖代々の記憶。生命の発祥から、絶えず、進化の先端で生き残ってきたエマノンの一族は、いまや三十億年分の記憶を、先端の一人が抱えることになっています。次の世代にバトンを渡すまでの期間、人類のすべての歴史を目にし、同時代人として生きていた記憶を持つ女性。それがエマノン。かといって、エマノンは、過去を見てきたというだけで、何か特別にするわけでもなく、歴史の進行に深く関わるわけでもない。時代の生き証人として、傍観するだけの存在にすぎないのです。しかし、彼女もまた、自分の存在意義を探しています。何故、このような特殊な存在が、この世界に生かされているのか。自分の人類における、存在の意味はなんなのか。しかし、答えはないのです。
物語はエマノン自身ではなく、「それぞれの時代のエマノン」と邂逅した人間たちのドラマを紡いでいく連作短編です。エマノンに不思議なその素性を語られて、不思議な気持ちを抱く人々の心。自分自身が抱える葛藤、自分の存在の意味をエマノンに照らして考えるものの、ここには明快な答えはありません。自分は一体、何者なのか。それは、エマノンが三十億年、考え続けて、今も考え続ける答えのでない問いかけなのです。『たそがれコンタクト』という一編では、人類の未来の記憶をすべて持っている、という能力者の青年が登場します。彼もまた自分が、何故、そんな能力を与えられたのか、その存在意義を見出せず苦悩しています。そして、未来の自分のページを極力見ず、その力を利用しないことを自分に課しています。エマノンに遭遇することも、彼の未来の記憶には、既に書かれていたことでした。その出会いが、彼に、自分の存在の意味を教えてくれることになるのか。エマノン側からではなく、その周囲の人々の葛藤が描かれるところが面白く、読み応えのあるシリーズです。このため、エマノンはいつも神秘的で、通常の人間の人智を超えた永遠を生きる存在として、一代を懸命に生きる人間の向こう側にいる超越者として輝きと悲しみを背負っているのです。肉体を乗り換えながら生きていく記憶。古代には「稗田阿礼」のように、命じられて歴史をすべて暗誦した人物もいたわけですし、一子に相伝される技術や伝統芸能のようなものも現実にはあって、「記憶の船」としての人類の存在を考えたりもします(それは『妖星伝』ですね)。能力を持って、闘う男性主人公ではなく、能力を持ちながら、時間と歴史をたゆとい、自分の存在を問い続けるだけの主人公。この不思議な存在を、不思議なままに描き、その周囲にすれ違う、一代かぎりの「有限の時間」を生きる人間存在の切なさを思わせる、哀切の物語ではありました。もともとは1983年に刊行された本ですが、徳間デュアル文庫で復刊(その後も新装版が刊行されています)。この作品、いつの時代のティーンにも面白い物語ではなかろうかと思うのです。