グレイッシュ

出 版 社: 文研出版

著     者: 大島恵真

発 行 年: 2022年06月

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人には適性というものがあって、向いていない仕事は、徹底的に向いていません。なので、職業適性検査などで人間の適性を測って、最適な業務にあたらせるというのは賢明なことです。とはいえ、営業職での華々しい活躍を目指していたのに、地味な裏方の事務職に配属され、それが君の適性だなどと言われることは心外でしょう。人間が自分の意志と無関係にすべて機械で振り分けられることに、ちょっとしたデストピア感を覚える人もいると思います。やりたいことと向いていること、どちらを重視すべきか。自分は大学で演劇学を専攻していて、堅苦しいことや数字は大の苦手、と思っていたのですが、いまや簿記やプログラミング、コンプライアンス関連などの職能が武器になっています。これも会社で色々な仕事に放りこまれたおかげで、思いもよらない自分の可能性を拡げてもらった気はします。もっとも、それが自分のやりたかったことかと言われると微妙です。本書の主人公の両親はともに美術大学を出ていて、父親はカメラマン、母親はグラフィックデザインの仕事をしています。フリーの仕事のため、波があり、収入に支障が生じることもあります。今、父親はほとんど仕事がない、という現状が物語の起点となっています。読者としては、ああ、このお父さんはカメラマンしかできないアーティストタイプの人だから仕方がないんだよね、という気持ちと、人間どんな仕事が向いているかわからないんだから、色々チャレンジしてみたらいいのにという気持ちが混ざり合います。それ以前に、どんな仕事をやってでも家族の生活を支えるべきだし、やりたいやりたくないで仕事を選んでいる場合かと叱咤したくもなるわけですが、人間には心の壁があるということも理解できます。僕は業務に関係がなくても、世界観を広げるために日商簿記三級を取得することを人に勧めています。で、事務職をナメているタイプの人は、いきなり二級を受けて撃沈したりします。商業高校の生徒が在学中に取得する資格なんて、と思っているらしい。そんな心のバリアもまた実に文学的だなあ、と耽溺してしまう自分がいて、君は会社員向いてないからねと大学の担当教授に釘を刺されたことを思い出します。真の会社員はそんなに鷹揚じゃなく、このお父さんなんて全否定のはずです。さて、そんな父親を持った娘は、どう親を見つめているか。両親に向けるまなざしが深く味わいのある物語です。

中学二年生の女子、みゆるの家は、少し困ったことになっています。カメラマンである父親の仕事が減ってしまい、ほとんど仕事をしていないのです。グラフィックデザインをやっている母親はスーパーのチラシ作りを請け負っていますが、その数も減ってきています。父親は機嫌が悪くなり、母親に怒鳴ることもあり、みゆるの家は次第に息が詰まるものになっています。同級生にも、自分の家が困っているらしいと噂されるようになり、みゆるは大いにプライドを傷つけられます。しかも、家庭に難のある同級生の林原さんに親しげにされることも同情されているようで、腹立たしいのです。両親の仲は悪いようでいながら、むしろ母親は父親に同情的です。それは同じく美術大学を出て、自分らしく仕事をすることに価値を置いているからかも知れません。みゆるは、自分はそんな母親に愛されていないと感じています。母親は「透明な何か」に包まれていて、自分が近づけない場所にいるのです。みゆるは、次第に林原さんと親しくなっていきます。生活に困っていても家族の気持ちが通じ合い、自分の両親のような「何か」にとらわれている人たちではない林原さん家族。みゆるは自分の家族に困惑し、家を出て、祖母の家に向かいますが、祖母もまた打ち解けることが容易ではない人でした。蛹の時間。みゆるは迷走しながら、「何か」というバリアに囚われている自分の家族を見つめ、自分自身の進むべき道を考えます。グレイに沈まない命の色を、みゆるが希望とともに見出していく物語です。

両親ともに、やや人間的に難がある人たちです。娘が感じている「透明な何か」という違和感が、この物語の核心であり、重要な概念なのですが、所謂、やっかいな人たちがまとっている歪さが表現されていると思います。それは高踏的でスカした鼻持ちならないサムシングであり、一方で、人間が誇り高く生きるためのスピリットです。おおらかで開けっぴろげな愛情表現をする親ではなく、また人としても妙なプライドがあるように感じてしまうのは、アーティスト魂のある方たちの矜持の反作用かも知れません。こうした人たちに、地に足の着いた生活人であることを求めるのは、呼吸をさせないことと一緒です。理想の自分でいられない苛立ちを持て余し、それを家族にぶつけてしまう父親。生活人として、プライドを投げうってでも収入を得ることを潔しとしない自分自身への愛憎もあるのだろうと思います。母親もまた同じタイプで、そんな父親への同志的な共感があるのだろうと感じてしまいます。個性を殺してする仕事になど意味がないと思っている。つくづく厄介な両親に育てられた娘は、普通の子どものような距離感で親と接触することが出来ず、親への反発や嫌悪を抱いていながら、彼女にもまたそんな因子があることを余白に感じさせられます。自己嫌悪と同族嫌悪。そこからの救いについて、頭を悩まされる物語です。このスカした両親を叱咤する存在の降臨を待ち望んでいたものの、誰も現れない。祖母もまた同じやっかい感があるとなると、これはもう一族としての業ですね。自分の家もちょっと教養主義のところがあって、あまり良くないなあと思いながら育ったのですが、反発するとともに自分の根幹にあるものとして、認めざるをえません。いい加減、大人になってから、自分の根っこが露呈し始めることもあります。時には、自分を、そんな業を背負って良く生きてこれたと認めても良いのではないかと思いますが、まあ、複雑ですね。