おやすみの歌が消えて

ONLY CHILD.

出 版 社: 集英社 

著     者: リアノン・ネイヴィン

翻 訳 者: 越前敏弥

発 行 年: 2019年01月

おやすみの歌が消えて  紹介と感想>

六歳の少年ザックの言葉で語られる、マッキンリー小学校乱射事件の顛末。小学校を襲撃した男は銃を乱射し、十九人を殺害します。そのうち十五人が小学校の児童である子どもたちです。先生に匿われ、クロゼットに隠れたザックは難を逃れますが、三つ歳上の兄のアンディはこの惨劇に巻き込まれて死亡します。どうしてこんなことになってしまったのか。警官に射殺された犯人は、学校の警備員であるチャーリーの息子でした。動機は不明ですが、おそらくは狂気に駆られたものです。もとより情動に異常があった彼を、適切な治療を受けさせず、そのまま野放しにしていたということで、チャーリー夫妻は遺族から責められます。大切な家族を亡くした家族にしてみれば、それは当然のことであって、悲劇を未然に防げたかもしれない可能性を思えば、どんなに非難しても満足することはないのです。かといって、犯人の両親を責めたところで、誰も戻ってはこない。怒りを募らせてチャーリー夫妻を糾弾するザックの母親の運動は話題を呼び、マスコミを引き寄せることにもなります。そうした中で、ザックの両親の関係の綻びも発覚し、家族はバラバラになっていきます。母親は、悲しみと怒りで気持ちがいっぱいで、ザックに楽しいおやすみの歌を唄ってくれなくなりました。省みられることがなくなったザックもまた淋しさを抱えながら、兄の死と、そして家族の悲しみと向かい合います。やりきれない悲しみに、人はどう耐えれば良いのか。家族の喪失と再生が描かれていく重みのある物語です。

喪の仕事、という言葉があります。悲しみを受け入れて立ち直っていく心のプロセスがそう呼ばれています。これは必要不可欠なもので、うまくこなせなければ喪失感に苛まれたまま抑うつ状態から立ち直れないこともあります。こう言ってはなんですが、子どもはちゃんとした悲しみ方なんて知らないものです。自分も10歳までに家族を二人亡くしていますが、当時を思うと、どこか取り乱したまま、今に至っているような、気持ちの区切りがついていないような気もします。では、正しい悲しみ方とは一体何なのか。自分に起きたことをどう捉えたらいいのかわからない子どもには適切なメンタルケアが必要です。ただ、この物語のザックのように、家族を失ったときは他の家族もまた悲しみに沈んでいて、注意を向けられない子どもも往々にしているものです。ザックは兄のアンディが亡くなったと知っても、泣くこともありませんでした。アンディはすごく頭は良いけれど、ODD(反抗挑戦症)という聞き分けのない気質であり、ザックはいつも意地悪をされていたために、いなくなってくれたことをうれしく思ってさえいたのです。それでも兄との思い出が浮かんでくる、ひみつ基地(アンディのクロゼット)に入れば、複雑な気持ちも湧き起こってきます。体調がおかしくなって突然、もどしてしまうこともあります。混乱するザックは、色紙を使って自分の心の中にある感情を抽出して分析するという、離れ業をやってのけます。また、『マジック・ツリー・ハウス』に登場する「幸せのひけつ」を実践しようと母親にも働きかけます。こうしたザックのバランスを取ろうとする自助努力を尻目に、取り乱し続ける母親はザックに目を向けることができず、悲しみと怒りに囚われています。ここでザックのとった突飛な行動が契機となり、家族は再生へのきっかけをつかめるようになるのですが、悲しみに沈んだ人の心が回復する遠大な道のりには、やはり途方に暮れてしまうものです。

どうにもいたたまれないのは、ザックの言う「じゅうげき犯」の父親がチャーリーであることです。チャーリーは小学校の警備員として長く勤め、多くの児童に慕われていた人物であり、彼自身も子どもたちをとても愛していました。ザックの母親もチャーリーと親しく、チャーリーの息子のベビーシッターをしたこともあったのです。そんなチャーリーの息子は、どうやら発達障がいがあり、社会に適応できない「子ども」でした。チャーリーの勤続30年のパーティーでの彼の不審な態度をザックも覚えています。そこで何かスイッチが入ったのか。後日、彼が「じゅうげき犯」になった経緯や理由は、ザックの耳には届きません。ただ、ザックは自分の子どもを亡くした父親として、悲嘆にくれるチャーリーの姿を目にします。射殺された「じゅうげき犯」の父親は悲しんではいけないのか。子どもを亡くした親の悲しみは変わらないのではないのか。ザックの無垢な視線がフラットに描き出すものが、周囲の大人たちにもまた影響を与えていくことになるのです。さて、ここでまた、喪の仕事について考えることになります。僕も、父親が亡くなった後に、その原因となったことについて訴訟を起こし、延々と裁判を続けていました。終了するまでに七年近くかかったかと思います。裁判が終わらないかぎりは、どこかでまだ父親と繋がっていられるような、そんな不思議な感覚もありました。ただ怒りを継続することはとても疲弊します。心が疲れ果ててしまっていては、より良く生きていくことができないものです。怒りをたぎらせることよりも、遺された家族が健やかに生きていくことが死者を悼むことになるのなら、どこかで折り合いがつくような気もするのですが。これはまだ自分には結論を出せないことです。