出 版 社: 福音館書店 著 者: 小森真弓 発 行 年: 2008年05月 |
< きのうの少年 紹介と感想 >
個人的な思い出話です。中学生の時の同級生だったSさんとA君。SさんのことをいつもからかっていたA君に、頭の回転の早いSさんが、数倍の悪口雑言で言い返す毎日のいさかいをかたわらで見ていた僕は、なんて二人は仲が悪いのだろうかと思っていました。ところがある時、Sさんが自分のてのひらに、ちいさくA君の名前をハートマークと一緒にフェルトペンで書いているのを発見してしまい、そうか、思いついた悪口を忘れないようにする備忘メモだな、と思った、というのは嘘で、鈍い僕でもようやく真実に気づくわけです。男子と女子の関係性の変化は、いつしか始まっているものだけれど、この瞬間からです、なんて明確なチャプターの掲示もなく、実にシームレスに変わっていくもののようです。端境期の微妙な変化に子どもたちが横並びで対応できているわけではなく、数歩、遅れている子もいます。周囲が赤く色づきはじめているのに、ひとりだけ青い。無頓着どころか、あれ、どうして皆、赤くなってんの、なんてノンキな質問でヒンシュクを買ったりする。やがて自分の「鈍感さ」や「無神経さ」に気づいて恥ずかしくなる。自分のことを客観的に考えたことがない子にすれば、まさか「自分という存在がいるだけで傷ついてしまう人がいる」なんて複雑な感覚とは未知との遭遇のはずです。自分が察していなかっただけで、世界は「思惑」に満ちていたなんて。あの瞬間、密かに誰かの心が傷ついていたことに、何故、気づかなかったのか。空気や重力のように、そこにあるけれど見えない何かを発見した瞬間の驚き。それぞれの心が発している声があるのだという事実。だからと言って、そうした「鈍感」さもダメではないのです。本書『きのうの少年』は、そんな「鈍感」さを愛しむことのできる「敏感」な作品です。つなぎとめられた心のゆらぎがここにあります。息を潜め、耳を澄まし、物語にこめられたセンシティブな何かに、是非、目を見張って欲しいと思います。
小学生のアキはとうさんと二人暮し。かあさんは、アキの物心がつく前に交通事故で死んでしまって、今はもういない。たまに叔母さんが面倒を見にきてくれるけれど、いつもは父と娘の二人でなんとかやっている。親友である近所の定食屋の息子、ケイトや、遊び仲間も男の子たちが多い。誰もアキを女の子扱いしない。アキにはかあさんの記憶もないから、寂しいという気持ちもないし、これはこれで気楽な生活。それでも、小学校高学年となり、そろそろ「女の子」らしく、を暗に求める周囲の声が聞こえ始めているこの頃。アキ自身も、父さんやケイトの「仲間」だった自分が、実は「女の子」だったことに、気づかないふりをしながら、かすかに感じ始めてもいる。そんな「微妙な季節」の空気がはりつめた連作短編です。アキをめぐる、学校でのこと、家でのこと、友だちとのこと。エピソードは重なりながら、少年のようで、実は少女である、アキの心模様をさりげなく見せてくれます。子どもが、子ども心のままではいられない、かすかに大人びる瞬間。登場人物の戸惑いの瞬間にシンクロするとき、「物語」を読む快感につらぬかれます。その瞬間を切り抜く鮮やかさ。無自覚であるゆえの無垢。無垢のままではいられないという痛み。気づいていながら、その気づきを、まだ認めたくない心の抵抗。どうしたらいいんだろう、という揺れるアキの思いは、答えを出せないまま止揚しているのですが、物語は過ぎていく時間の経過を、シンプルに淡々とそのままに見せてくれるのです。
アキにとっての「あたりまえ」が、他の子たちにとっての「あたりまえ」じゃないということに、本人はなかなか気づきません。このアキの「鈍感」さが、布石となって、後で効きはじめます。父子家庭で育って、遊び相手も男の子たちばかり。女の子的なセオリーやスタイルなんてものは無視していても当然と思っているアキ。そうだったはずが、ついに「鈍感」ではいられなくなってしまう瞬間を迎えて、アキは新しい季節に踏み込み、それまでの無自覚な昨日が黄金のように輝きだすのです。なんとなく過ぎていってしまっていた日々の意味よ。この物語は、うっかりしていると見過ごしてしまうような瞬間の「妙」に満ちています。各ラウンドの攻防はいたって地味なくせに、実は時間差で効いてくるボディブローが沢山入っていて、最終ラウンドでは、見事にKOされてしまう。タイトルでもある「きのうの少年」というテーマに貫かれた時、連作短編は、長い物語の中の、それぞれの輝ける時間となります。センシティブとは何か、ということをずっと問いかけられながらも、作中にもほとんど答えが書かれていない。思わせぶりなくせに、はっきり言ってもらえないもどかしさ。そして、見えない余白に書かれていることを、ぐいぐいと読まされてしまう。文学的な純度の高い作品です。強い線ではなく、淡い点描で描かれた世界は「面」として一枚の絵を見せてくれます。感情のゆらぎや、感動を言外に感じ取らせる手練。父娘家庭物の名作と言われる今江祥智さんの『優しさごっこ』のように、父娘が最大限、相手を思いやり、気をつかいあう様子が言葉として表出される作品とは対極にある美意識ではないかと思います。これは今井さんと小森さんが描く、父親の視点と、娘の視点の違いかも知れません。ともかく、ウェットになりすぎない友情に結ばれた新しい父娘物語の誕生をここに祝いたいと思うのです。