こちら『ランドリー新聞』編集部

The Landry news.

出 版 社: 講談社

著     者: アンドリュー・クレメンツ

翻 訳 者: 田中奈津子

発 行 年: 2002年02月

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「確信犯」とは、間違った行為を間違っていると認識しながら犯す人、ではなく、それを正しい行為だと確信している人のことです。政治犯や思想犯だけではなく、例えば自分は会社で正当に評価されず報酬が少ないので、横領しても構わない、などと考える人もそうかもしれません。とはいえ100%自分の正しさを確信できている人も少ないはずで、不法な行為には一抹の後ろめたさがつきまっているはずです。自分では正しいつもりでも、その行為を面と向かって批判されると、気持ちは揺らぎます。人間そこまで自信はないものです。この物語には、人から非難されがちな自分の教育方針を正しいと思っている先生が登場します。自由かつ放任主義で生徒の自発性を涵養しているつもりですが、何も課題を出さず、ちゃんと生徒を指導していないというのが、生徒の親たちからの批判です。本人は良かれと思ってやっていることなので、そんなことは気にもしません。勤務評定が悪いのだって、教育方針の違いだと思っています。とはいえ、これが生徒から直接、痛烈に批判されるとなると、さすがに響きます。しかも生徒が作った学級新聞の「社説」で、こき下ろされるというのは、心外であろうし、その新聞を破り捨てたくなる気持ちもわかります。それは自分の行為が、どこか間違っていることを自分でもわかっているからなのでしょう。この物語、そこで先生が、自分の間違いを真摯に認めるところが素敵なのです。自分のやり方の問題点を生徒に公然と指摘されて、憤慨はするものの、それを認めて反省する。そこから、わだかまりを持たずに、その生徒を守り、伸ばそうとする姿勢も尊敬できます。ちょっと駄目であっても、自分たちのことを本気で考えてくれる先生を、生徒たちは信頼します。まず、この信頼関係ができるまでの展開が、読ませるところです。独善的なベテラン教師が、自分が陥っていた慢心から一歩抜け出す。年をとればとるほど難しいことです。確信犯的で駄目な教師が目覚め、生徒もまた自分の行為を深く掘り下げていくことになります。こうした心の深層の描き方が実に見事で、読み応えのある物語です。

デントン小学校の一四五番教室。ここはラーソン先生が五年生の生徒たちを担任しているクラスですが、その教育方針は独特でした。オープンクラスというやり方で、先生は朝ちょっとだけ話をしたり、難しい言葉について話をしたり、読んだり、ドリルをやらせる。後は生徒に自習させて、先生は一日中、自分の机で雑誌や新聞を読んでいるだけなのです。この方法で生徒の自発的な力が養われるとラーソン先生は信じていました。デントン小学校に転校してきたカーラ・ランドリーは、この教材が山のように積み上げられた教室の喧騒の中で、ひとり自分のやりたいことを始めていました。それは新聞作りです。前の学校で、カーラはあまりにも辛辣な新聞作りを続けて、問題を引き起こしていました。友だちや先生の弱点や失敗をあげつらう紙面づくり。ここでもその切先は健在で、自分の名前を冠したランドリー新聞の社説(編集部だより)欄で、ラーソン先生が授業をせず、なにも教えてくれないことをおかしいのではないかと提起したのです。なぜラーソン先生は給料をもらっているのか、とカーラは言及します。貼り出された新聞を読んだラーソン先生は憤慨します。これには、カーラもやや反省せざるを得なくなります。自分はただ新聞を作るのが好きなだけで、先生を傷つけるつもりはなかったのです。真実を新聞に書いても、人を慈しむ気持ちや思いやりを忘れないこと。お母さんに言われた言葉がカーラにも響いています。ラーソン先生に顔を合わせることを気まずく思っていたカーラですが、その後の先生のカーラに対する態度はいたってフラットで、カーラが新聞というものについてどんな考えを持っているかを聞いてくれます。そして、カーラが言うところの「新聞の良心」とはなにかを考えようという、真っ当な「課題」をクラスに与えたのです。ラーソン先生が怒っていないということにカーラは驚き、気味悪く思いながらも、更に同級生たちの力も借りて新聞作りに邁進します。その活動を、陰ながらラーソン先生は応援していきます。そこに至るまでのラーソン先生の心のドラマについてカーラは知る由もないところですが、この大の大人の知られざる葛藤が実に味わい深いところなのです。

カーラもまた自分の報道姿勢を考え直していきます。前の学校でカーラが辛辣で意地悪な新聞を作り続けていたのには訳があります。両親の離婚で傷ついてしまった気持ちや、その悲しみのやり場がなく、周囲に八つ当たりをしていたのです。カウンセリングを受けさせられるほど、その活動は問題視されていましたが、そんなカーラの捻くれた心の叫びは、家を出て行った父親には届きませんでした。新しい学校で、ラーソン先生や同級生たちの協力の下、カーラが作る新聞は変わっていきます。同じ真実でも表現の仕方で、人に伝えられることは変わっていくのです。ランドリー新聞は好評を博し、次第に部数を伸ばしていきます。読者投稿も充実する中、カーラは、一人の男子生徒が書いた物語を掲載することを編集長として決定します。それは両親が離婚したことの悲しみを綴った、カーラにとっては非常に共感する物語であり、彼自身の実体験であることもカーラにはわかっていました。ただ、その物語を新聞に掲載したことが、事件に発展します。以前からラーソン先生の教育方針を問題視していた校長先生が、ラーソン先生を貶めるために、この新聞が生徒のプライベートな個人情報を拡散させたとして責任者のラーソン先生の懲戒動議を行ったのです。その懲戒審問での一幕が物語のクライマックスとなります。カーラとラーソン先生、それぞれの心情の変化と成長を、物語は描き出します。表現の自由とは何かや、真実を人にどう伝えるべきかを子どもたち視点で考えさせる姿を見せる、多くの示唆に富んだ見事な物語です。