東京タワーに住む少年

出 版 社: 国土社

著     者: 山口理

発 行 年: 2022年03月

東京タワーに住む少年  紹介と感想>

東京タワーにはあるけれど、東京スカイツリーにはないもの。それはやはり1958年(昭和33年)の竣工から半世紀以上を経た歴史そのものでしょう。建造当時の昭和中葉という近過去も、今や浪漫に包まれた時間域にあって、東京タワーは当時の空気を繋ぎ留めたままの時代感溢れるランドマークとなった気がします。つまりどこか懐かしい場所なのです。自分は東京生まれ東京育ちで、逆に東京タワーに行く機会がないまま、成人してからようやく足を運んだ覚えがあります。行ったこともなかったのに、やはり懐かしい場所という印象でした。この東京タワーには建造以来、隠され続けていた秘密があった、という奇想の物語が本書です。実は、東京タワーには設計図にはない「レインボー・センター」という名の研究室が地上250mのトップデッキ(旧特別展望台)の屋根裏にあり、そこに行くための秘密のエレベーターも設置されていました。誰が何故、そんなものを作ったのか。そして建造以来、半世紀以上の歳月を費やして、そこでは何が研究されていたのか。東京タワーの完成形、それは、タワーに自在に虹を架ける機能を搭載することであり、この機能が実現できないまま開業した東京タワーは、まだ未完成なのだと考える人たちがいました。設計技術者の一人であった田所正太郎は、東京タワーをただの電波塔ではなく、戦後復興の時代に見た空に架かる虹のように「すべての日本人の夢と希望の象徴」にしたいと考えていました。当時の技術では不可能であったために、彼の存命中には果たされず、その願いは彼の一族へと託されます。親子四代に渡る、執念の研究は実を結ぶのか。奇想天外な物語は、ちょっと意外な結末を迎えます。

無類の科学好き、理科好きの小学六年生、田所健人は、年頃の少年が好きそうなことには目もくれず、科学オタクを自認していました。大人顔負けの科学知識を持つこの少年は、「自分ひとりの力で切り開いてこそ真の科学」というポリシーを信奉しています。それは科学者である祖父の信二から受け継いだものでした。祖父の信二は、曾祖父の正太郎から、東京タワーに虹を架けるプロジェクトを託され、半世紀以上に渡って、タワー内の研究室「レインボー・センター」にこもって研究を続けていました。しかし、未だにその技術は完成していません。健人の父もまた映像技術を研究する研究者でしたが、祖父とは袂を分かって、現在は企業に勤めています。健人は祖父に協力しながらも、祖父が考える「プロジェクション・マッピング」とはまた違った方向性で、東京タワーに虹を架ける方法を研究していました。共に研究に行き詰まっている二人。そんな折、健人は町の図書館で日本科学大学でプラズマ理論を研究している公平という青年と知り合います。研究の突破口を開くため、公平の研究室を訪ねたものの、やはり人と協力し合うことを健人は心良しとはできません。小学生である健人は、普通の学校生活も送っていますが、ちょっとした自由研究でさえ、こうした頑なな信条のために同級生たちと対立しがちです。それでも「ひとり」でやることが良いことだと考えていた健人も、やがて人の力を借り、協力して問題を解決していくことにシフトチェンジしていきます。田所一族で守り通してきた秘密である、東京タワーに虹を架けるプロジェクトに、協力者たちを迎えいれるかどうか。祖父の信二もまた葛藤します。人は支え合い、協力し合うことで夢を実現してできる。この当たり前の真理が、今更ながら、田所家の人々を照らしていきます。

健人の「人はどうせわかってくれない」という思い込みが解けていくあたりが見どころです。彼にはあらかじめ諦めがあったのかも知れません。そうした自分の偏狭を、同級生の女の子に見抜かれてはじめて健人は気がつくのです。このスクラップ&ビルドを小学生のうちに経験できたことはラッキーです。祖父の信二など、そこに半世紀以上を費やしています。科学的な精神とは、なんでも一人でやり切ることだという考えから健人が解放される。ここから人生が変わり始めます。それは自分が人から支えられて生きているということに気づいたからです。さて、児童文学作品としての主テーマはそこなのですが、題材となった「東京タワーに虹を架けるプロジェクト」以前に、一設計担当者が秘密裏に計画して、現場作業者たちの協力の下、そんな設備を勝手に作ってしまった、という設定自体に驚かされます。しかもその設備は、ある一家によって、人知れず占有され続けてきたのです。無粋な話ですが、電気だって盗用されてきたのでしょう。コンプライアンス的に考えると、相当、問題があるわけですが、全ては曽祖父の正太郎から引き継がれた一家の最終的な目的である「すべての日本人に夢と希望を与える」の前に正当化されています。かなり独善的な話ですが、そこを言い繕うこともないのは潔いところです。この物語の荒唐無稽な魅力は、田所家の人々の、常識を省みないところに支えられています。コンプライアンスに忖度する現代児童文学には滅多に見られない思い切った姿勢に、ちょっと心配になってしまう自分のつまらなさを感じています。