シリアからきたバレリーナ

No Ballet Shoes in Syria.

出 版 社: 偕成社

著     者: キャサリン・ブルートン

翻 訳 者: 尾崎愛子

発 行 年: 2022年01月

シリアからきたバレリーナ  紹介と感想>

シリア第二の都市、アレッポ。シリア最古にして最大の都市です。アサド政権に対抗する反政府勢力と政府軍が、このアレッポの東西に分けて繰り広げた内戦は、他国やテロ組織の介入もあり、町は空爆や激しい戦闘にさらされ、多くの一般市民が犠牲となりました。この物語は2011年から始まったシリア内戦から逃れるため、国を離れて、外国に安住の地を求めた家族の物語です。医師であった父親は、家族を連れて激戦下のアレッポから隣国トルコに渡り、ギリシアを経由して、多くの足止めを受けながらも、かつて働いていたイギリスへと進もうとしていました。その途上で、海上でボートが転覆し、父親は行方不明となり、娘のアーヤはこの過酷な逃避行で心を病んだ母親と、まだ幼い弟の面倒を見ながら家族を支えていきます。母親は英語が話せず、父親から英語を教わっていたアーヤが表に立って交渉ごとを務めますが、彼女もまだ十一歳の子どもなのです。なんとかイギリスにたどり着いたものの、難民認定を得てここに居住できるかどうかもわかりません。そんな不安な日々に、アーヤは、日参する難民支援センターが開かれているコミュニティセンターの二階で行われていたバレエ教室から流れてくる音楽に気づきます。シリアでバレエに打ち込んでいたアーヤは、興味を抑えきれず、その練習風景を見ようと上階へ上がったことで、彼女の世界が少し変わり始めるのです。この地球のどこかで起きている惨事を、児童文学は当事者の子どもたちの目線で伝えてくれます。ここには報道では知り得ない心の動きが、優れた物語として紡がれているだけではなく、社会や人が、困っている人たちをどう支えていくか、その理想が語られています。現在(2023年11月)、二つの戦争の悲痛な状況が、日々、ニュースで伝わってくる中で、どうやって人に心を寄せ、手を差し伸べることができるかを深く考えさせられる物語です。

物語はイギリスに着いてからのアーヤの時間軸を中心に展開し、過去の回想がインサートされていきます。難民とは認定されていないアーヤの家族はこのままでは国外退去となる不安を抱えており、アーヤは英語のできない母親に代わり難民支援センターに日参してソーシャルワーカーを相手に複雑な手続きについて相談していました。父親の行方は知れず、母親は心を病んでおり、弟はまだ幼い。アーヤには家族を支えなければならないという重い責任がのしかかってかかいました。そんな折、耳にした音楽はコミュニケーションセンターの二階のバレエ教室から流れてきたものです。そこではミス・ヘレナいう老婦人が少女たちにレッスンを行っていました。後日、ミス・ヘレナはセンターの中庭で音楽に合わせてピルエットを回っていたアーヤに目を止め、レッスンを受けないかと誘ってくれます。シリアから来たというアーヤの事情を察したミス・ヘレナはお金もいらないというのです。かつて有名なバレリーナだったヘレナもまた、少女の頃ユダヤ人としてドイツを追われ、一人でイギリスに渡ってきたという経緯がありました。「他人の親切を受けいれないといけないときもある」というミス・ヘレナの言葉に背中を押され、アーヤはレッスンを受けることになります。むき出しのアーヤの足に残された砲弾の傷痕を見て、ヘレナは「わたしたちは、誇りをもって傷をまとう」のだと励まします。アーヤはバレエ教室の生徒たちとも打ち解けて親しくなっていきます。しかし、難民として認められるための庇護申請さえ却下される状況で、滞在するホステルの家賃にも事足りず、立ち退きを要求され、アーヤの家族は追い詰められていきます。父親の行方は依然として掴めず、先行きも見えない状況の中で、それでもミス・ヘレナやバレエ教室の友人たちの支援を受けて、アーヤにも少しですが光明が見えてきます。ロイヤル・ノーザン・バレエスクールの特待生になれば道が拓ける。過去の辛い記憶に苛まれながらも、アーヤは自分自身のバレエを作り出すのために過去を振り返り、自分が自分であることを表現していきます。

アーヤのここまでの過酷な逃避行や、故郷で遭遇した不幸な出来事などを考えると、胸が塞がる思いがします。同じような境遇の戦禍の多くの子どもたちには、この物語のようなラッキーはなく、ただ辛酸だけが降り注いでいるのだろうと想像します。無償の支援によってアーヤが支えてもらえたのは、彼女自身に才能があり、真摯で懸命に生きようとしていたから、ということだけではありません。かつて自分がイギリスで受けた厚情を人にも与えようとするミス・ヘレナの存在自体が大きな支えとなってくれたのです。バレエ教室の子どもたちは同情してくれますが(もちろん反発する子もいます)、アーヤの立場に思いを寄せ、彼女のような人をどう助けていくべきか、ミス・ヘレナが善導していくことで、その理解は深まっていきます。庇護申請者や難民、という存在に押し込められてしまうことに失意を覚えるアーヤにも、誇りをもって、自分は難民だとミス・ヘレナは語ります。難民に門戸を開いてきたというイギリスのスピリット。その友愛のバトンをアーヤは受け取りました。ここで人間として生きる希望を与えられたのです。冷遇され、足蹴にされ、危険な場所に追いやられる。そんな時、人は人間自体に失望するでしょう。故郷を家を家族を失っても、それでも人を支えてくれるものがあります。アーヤが深い失意から、生きる希望を見出していく姿に胸をうたれます。そして、その友愛は誰もが供給することができるということもまた、自分たちにとっての希望です。戦地のニュースを見て、何もできないもどかしさを感じながら、今は想いを寄せるだけでも、その気持ちを灯し続けなければと考えます。