出 版 社: さ・え・ら書房 著 者: ローレン・ウォーク 発 行 年: 2019年11月 |
< この海を越えれば、わたしは 紹介と感想>
物語のあらすじから、ちょっと恐ろしげな予見があった作品なのですが、読んでみて、随分と違った印象を受けました。何分にも、ハンセン病の隔離施設がある島から流された小舟に乗せられていた赤ん坊が主人公ともなれば、一体、どんなドラマが始まるのかと思ってしまうものです。まだハンセン病の治療法が確立していない1925年です。この時代に、伝染する恐ろしい病気の隔離島からきた子どもを待ち受ける運命には、暗澹たる前途を感じていました。現在は完治するハンセン病も「当時」は業病であったし、それ以上に罹病した人たちが向けられていた差別の目が厳しくも恐ろしいのです。ところが、存外、そのクロウと名付けられた赤ん坊は愛情深く育てられ、健やかで好奇心に溢れた女の子に成長していました。たしかにクロウは、彼女を恐れる地域の人たちから、分け隔てられてはいました。彼女が触れたものには、誰も触れようとはしないし、避けられてはいます。それでもクロウは自分を拾って育ててくれた、小島で放浪生活を送っていた画家のオッシュや、なにかと世話を焼いてくれる賢明な女性、ミス・マギーのおかげで、素直でまっすぐな気性の子に成長しました。彼女が愛情に満たされていることが救いであり、物語を読み進める勇気を与えられます。そんなクロウが自分の出自を知り、危機的状況をくぐり抜けながら、新しい自分を見出していく爽やかな物語です。
生まれてすぐに、穴の開いた古い小舟で海に流されて、オッシュに助けられたクロウ。自分がどこの誰なのか、何故、流されたのか、ずっと疑問を抱き続けていました。ハンセン病の療養施設があった島、ペキニース島から流されてきたと言われて、人から怖れられて育ったクロウは、自分自身の真実をつきとめたいと思っていたのです。近隣の島に住む人たちとは違う外見を持った自分は何者なのか。次第に育っていく彼女の好奇心は止められません。十二歳となったある日、海の向こうに見えるペキニース島から火の手が上がっていることを見つけたクロウは、ボートに乗り、今は誰も住んでいないはずの島へと上陸します。そこで出会った野鳥保護官を名乗る剣呑な男性に不審感を抱いたクロウの予感は、じきに的中することになります。ペキニーズ島に残された手がかりから、クロウは自分がこの島に隔離されていた、ある患者の子どもではないのかという推論を得ます。自分にも血の繋がったほんとうの家族がいる。その驚きと喜び。クロウが真相にたどり着こうとする最中、ペキニース島に隠された秘密を知った人物に、クロウは追われることになります。クロウが暮らす、エリザベス諸島の島々は、かつて海賊たちが隠れ家にしていた場所であり、そこに埋まっているのはロマンだけではありません。人が恐れて立ち寄らないペキニーズ島には何があったのか。謎めく物語の面白さと、クロウの育ての親であるオッシュやマギーの情愛の暖かさ。やがて彼女自身が見出していくものもまた、その厳しい人生をさえ素敵に感じさせてくれる慈愛に溢れています。
ごく近年の作品であり、触れにくいテーマに挑んだ野心的な作品かと思いきや、意外にも、ハンセン病も物語のギミック的な扱いとなっていて、エンタテーメントとしての物語の題材の範囲に収まっています。テーマは主人公の心の成長やその豊かさにあるのですが、やはりハンセン病という題材は際立ったもので、そこに着目せざるをえません。ハンセン病については、現代の日本に住む子どもたちにとっては、かつて差別や隔離政策などの問題があったということをニュースで知る程度なのかも知れませんが、物語の中で出会うことも貴重な体験となるかも知れません。偏見を助長するものにもなりかねないので、この恐怖心も、物語の中の時代感覚なのだという前提の理解が大切かと思います。離島育ちのクロウが街に出て、初めて自動車を見て驚く場面がありますが、そんな時代なのだということですね。考えてみると、この物語のフレームは、古典的題材である「捨て子」を扱った孤児モノです。ストーリーもわりとクラシックな物語展開であるとも思えます。一方で、彼女の気づきや成長には現代的なエッセンスがあり、掘り下げていくと深いツボがあります。自分が誰であるのか、というアイデンティティを見つけ出そうとする過程を経て、自分が誰であろうとかまわないし、何を愛していくべきかを改めて認識するところに、クロウは立ち戻ります。自分にとって大切な宝物が何かを知る豊かさ。クロウの自分なりのハッピーエンド、が、めでたしめでたし、なのかどうか。ここに考える余地が沢山あるところもまた、物語の現代的なところかと思います。