金曜日のあたしたち

出 版 社: 静山社

著     者: 濱野京子

発 行 年: 2023年06月

金曜日のあたしたち  紹介と感想>

環境問題や子どもの貧困について語られる物語ですが、SDGsというキーワードが出てこないところに好感が持てる現在(2023年)です。学校関係者や図書館関係の方たちは世間で喧伝される何年も前からSDGsへの関心を深めてきたこともあり、意義には賛同しつつも、そのキーワードにはやや食傷気味なのではと思っています。キーワードが先行することで注目が集まる反面、本質が見失われることもありますね。環境問題に高校生たちが真摯に取り組む物語である本書が、そうした言葉でパッケージされることには、やや抵抗があります。実際、SDGや「持続可能な社会」という言葉が軽くなってきていることが危惧されるため、これで良しと思うのです。それもふくめて、実のある環境問題へのアプローチとは何かと、本書が描く高校生たちの姿勢に瞠目するところとなります。一方、本書で気にかかったのが、近年のESGの盛り上がりが意識されていないことです。登場人物の一人である高校生の父親は大企業で働いていて、環境問題には関心がないという設定ですが、現在、大きな会社で重職についていればいるほど、ESGを意識しなければならない状況にあります。環境問題に配慮している企業かどうかが、取引先選択の重要な要素となっており、企業をあげての取り組みが行われています。物語の仮想敵である「環境問題に無関心な人たち」と働く大人はイコールではなく、そこに子どもたちが気づいていないとすれば、物語はもうひとつ面白い深層を垣間見せるでしょう。ともかくも、この物語に登場する意識高い系の高校生たちの一途さや愛すべき小生意気さに、働く大人も負けていられないと奮起するべきですね。

高校受験に失敗して、志望校の櫻木学園ではなく、第二志望の県立松川高校に通うことになった高校一年生の女子、陽葵(ひなた)。自分よりも成績が悪いはずの従姉妹の百音(ももね)が何故か櫻木学園に合格したことも、存外、ショックで、くやしさを噛みしめながら、高校生活を楽しめないまま過ごしていました。そんな五月の金曜日、陽葵は駅のすぐ近くの広場で、高校生の男女がチラシを配り、地球温暖化を警告する活動を行なっているところに遭遇します。ふと興味を惹かれて、声をかけた陽葵は、彼らが櫻木学園の環境問題研究会だと聞いて、一気に引くことになります。それでも彼らの訴える気候変動について気になった陽葵は、ネットで調べ、従姉妹の百音にも環境問題研究会のことを聞いてみます。どうやら学校でも意識の高い頭の良い集団であるらしい。再び、彼らと遭遇することになった陽葵は、付け焼き刃の知識で話をするものの、その中の一人、二年生の男子、水沢涼真に、何も知らないと言われ、見下されたように感じます。自分で調べろと参考文献やサイトを載せたメッセージを涼真から送りつけられた陽葵は、くやしいと思いながら自分で調べるうちに、気候危機の実情を知ることになります。このまま温度上昇が続けば、自分たちの未来がヤバいことになる。こうして、危機感を募らせた陽葵は駅の集会が行われる金曜日に、駅前広場に向かうようになるのです。Fridays For Future。未来のための金曜日。スウェーデンの環境活動家、グレタ・トゥーンベリが提唱した草の根運動に、陽葵も参加することを自ら決めたのです。やがて、陽葵は環境問題だけではなく、色々な社会問題を意識するようになります。自分の学校の友だちとも、そうした話題で話ができるようになっていき、やがて有志を募って、文化祭で気候危機の展示をしようと企てるまでにもなります。コンプレックスに沈んでいた陽葵が、自分の考えを深めて、色々な状況や特性を持って生きている同じ高校生たちを慮り、心を通わせていく姿と、その心地よい跳躍を感じられる物語です。

気候変動などの環境問題に始まり、子ども食堂にボランティアに行っている友だちの活動や、アルバイトをしている同級生などから、陽葵が子どもの経済的な問題を意識するようになったり、LGBTや海外にルーツを持つ人たち、それこそ、左利きの友人たちからマイノリティの立場を知ったりと、まあ、気づき要素の盛りだくさんなこと。さらにはそのカウンターにミーイズムやマッチョ思考を見せて、なんとも、若さと青さの多層空間を感じ取らせてくれる物語です。意識高い系と揶揄されながらも、そこにある誇りや使命感には若さがほとばしっています。陽葵のプライドの高さは、当初、自分で自分を追い詰めて世界を狭くしています。ただ彼女の資質は、そこで腐ることなく、知識を吸収し、考えを深め、行動につなげていきます。仮想敵である大人たちの無関心や無理解に怒りを感じる。大人が何を言おうとナンセンスだと切って捨て、ESGなんて、営利目的でやっている似非エコの茶番だと一刀両断するぐらいが望ましいところです。まあ、大人的にはそんな高校生活に輝きを感じてしまうところですが、まあ、自分は実に意識低かったですねー。今だって、紙ストローが苦手でどうにかならないものかと思ってしまいます。痩せ我慢ではなく、それを楽しめる心意気ですね。