こんとんじいちゃんの裏庭

出 版 社: 小学館

著     者: 村上しいこ

発 行 年: 2017年06月

こんとんじいちゃんの裏庭  紹介と感想>

理不尽な目に遭った時、訴訟を起こす、という選択肢があります。とはいえ、不慣れな人間には、これがなかなかハードル高いものです。時間もお金もかかります。自分も一度、民事訴訟を起こしたことがあるのですが、結局、準備から初めて5年ぐらいかかったかと思います。費用も高額でした。ただ、やるべき時はあります。解決しがたいトラブルがあったら、まずは法テラスに相談に行くのが良いと思いますが(弁護士マッチングみたいな感じです)、こちらの「気持ち」をわかってくれる弁護士さんなんて、なかなかいないものです。けっこう途方に暮れました。そもそも自分で自分の気持ちがよくわからないのです。自分が遭遇した理不尽をどう考えたらいいのか。そもそもそも自分は何を求めているのか、なんて概念的なことに悩んでしまっているのですから。結局のところは損害賠償を論点に争わざるを得ないわけですが、痛みや哀しみが根底にはあって、それは結局、どうにもならないことだなと自分でもわかりつつ、なんとかしなくてはとあがくのです。まあ、そうしたプロセス自体が気持ちの修復作業ではなかったかと今にして思います。ともかくサポートしてくれる人がいないと、この手のことはわからないものですね。結局、求めていたことは、訴訟ではないのだと、ただ自分の心の落ち着く場所を見つけたかったのだと最終的には気づくことになります。この物語では、中学三年生の少年が訴訟沙汰に巻き込まれます。しかも、損害賠償を請求される側です。両親は頼りにならず、彼が動かなければ、どうにもならない状態です。世の中のルールも良くわかっていない年端のいかない子どもは、なにをどうしたら良いのかと悩みます。主人公の少年は、当初、非常に自分本位で身勝手なキャラクターとして登場します。そこには彼の大人への不信と疎外感があります。そんな彼が、信頼できる大人から協力を得て、難題に立ち向かう中で成長していきます。このプロセスが読ませるところなのですが、まあ、トラブルに巻き込まれない人生の方が良いですね。

中学三年生の男子、悠斗(ゆうと)。彼の認知症の祖父は自転車に乗り、交差点に進入したところを自動車と接触します。祖父は転倒し、頭を強打して、病院に運ばれ、意識がこんとん(混沌)としたまま危篤状態となります(ということでタイトルがここで回収されますが、なかなか凄いなと)。低い意識レベルながらなんとか安定を保てるようになった祖父、とはいえ意識不明で気管や栄養補給の管につながれた状態では続きます。やがて、家族の元に、祖父宛に自動車に乗っていた人の加入する保険会社から封書で通知が届きます。それは祖父への損害賠償請求でした。この事故で自動車が破損したというのです。目撃証言によれば、車は信号を遵守しており、進行する車にぶつかって行ったのは、祖父の方だとされています。その通知には、こうしたケースの場合、進入した自転車が悪いとされるという過去の判例の記事も同封されていました。被害者は祖父だと思っていた悠斗が、この通知に憤ります。自転車と自動車が衝突して、何故、自転車が悪いことになるのか。しかも祖父は生死にかかわる怪我を負っているのです。自動車を運転していたのが、父親の会社の取引先の重役であったために、ことをあらだてるわけにもいかず、両親はこれを受け入れるしかないと考えますが、悠はこれに納得がいかず、独自に調査を始めます。警察に行き事故の状況を聞き、交通事故相談センターの弁護士と相談して状況を確認してもらい判例の真偽を確かめます。わかったのは、必ずしも祖父が一方的に悪かったわけではない、ということです。相手側の通告に諾々と従うままだったところを、フラットな解釈を知った悠は、保険会社に談判に行きますが、裁判で決着をつけるかと威圧されます。窮地の悠斗は、果たして、ここからどう行動したのか。弁護士から、君はどうしたいのか?と問われても、費用がかかる裁判に踏み切ることはできません。大人に相手にされない無力な中学生が、祖父の名誉を守るため、懸命に真実を追及していく中で成長していく物語です。

ポイントは主人公である少年、悠斗の人間性です。冒頭から、コンビニで、目の前を塞いだ従業員を蹴り飛ばすという暴挙に出ます。これは勿論、警察沙汰になりますが、悠斗はいっこうに反省しません。彼は傷ついていたのです。学校の先生の欺瞞に満ちた態度に、侮られたと思い、怒りを内燃させていたのです。だからと言って、人を蹴っていいわけはありません。というかダメすぎます。幼さが残る彼は人とどう接して良いかわからないまま、自分の怒りに翻弄されてしまうのです。そんな彼が遭遇した祖父の交通事故です。祖父が入院した病院の部屋で同室になったのが、悠斗が従業員を蹴った、あのコンビニの店長の父親であり、その介護のため付き添っていた店長と顔を合わせることとなり、悠斗は気まずい思いをします。それなのに店長は、彼が警察に出向く際にも付き添ってくれたり、親身になってくれるのです。何故、この人はこんなに人に優しくできるのか。計算高いように思えた教師たちや、威圧的な保険会社の社員、そしてコンビニの店長や自分の父親。大人たちが隠し持っている気持ちにも、悠斗はアプローチしていきます。祖父が家庭菜園でイチジクを育てていた裏庭で、悠斗は祖父の幻影の言葉を聞きます。かつての祖父との時間が彼を励まし、力を与え、進むべき道を指し示します。いい人か悪い人か、そんな二元論で割り切れない、大人の複雑な在り方に歩み寄りながら、諦めずに粘り強く解決策を見出していく悠斗の成長に目を見張るラストが待っています。自分の反省もこめて、大人になっても、どうにも冷静になれないものだと思います。大人もまた、後悔や内省をしながら生きているということを中学生に感じさせる、苦い味わいのある物語ですね。