UFOはまだこない

出 版 社: 講談社

著     者: 石川宏千花

発 行 年: 2011年01月

UFOはまだこない  紹介と感想>

刊行から十年が経った現在(2021年)の視座から読み返す問題作です。刊行当時読んだ際に、ちょっと手に負えない感じがあってレビューを書かないままだったのですが、ひと昔前の作品となって、多少、冷静に読めるかと思ったことと、その後の石川宏千花さんのリアリズムYA作品を読んでいった中で理解が進み(これは僕が多分に石川さんを性悪説の人と誤解していたことによりますが)、原点としての本書にようやくアプローチできる気がしたのです。当時、近年の児童文学作品として意外だったのは、主人公たちが所謂、学校ヒエアルキーの頂点にいる存在だったことです。この学校の圧政者としての強者の立場には、心のアウトローか、なるべく目立たないようにふるまおうとしている子が主人公であるのが常套の児童文学作品との温度差を感じました。当時は、社会的にもスクールカーストが取り沙汰されるようになり、一般文芸の方では『桐島(以下略)』等、それを意識させる作品が多く登場してきた時期です。本書にもそうした作品のニュアンスを感じさせられるところがあり、特に『野ブタをプロデュース。』を想起しました。小説とテレビドラマとして潤色されたものとでは、かなり趣が違うのですが、むしろ後者の方で、ドラマの主題歌の有名なフレーズである「地元じゃ負けしらず」の世界観が、意識されている気がするのです。鼻持ちならない傲慢さと、その裏にある自分たちの限界への失意や哀感は、この物語にも通底しています。価値観を共有できる仲間たちに恵まれている主人公は世の中の明るいサイドにおり、そんな彼がダークサイドにいる人間たちを睥睨する視線には、驕りと義憤や諦めがないまぜになっています。人の暗黒面を自分にも見出してしまい、驕れる少年が足元をすくわれるような展開はなく、最後まで、その高所からの正義と失意とサムシングが語られます。劣等感に沈まないこともまた高潔さです。一方でダークサイドの人たちは本当に救われようがないあたりも衝撃的です。こうした世の中に漠然とした閉塞感をおぼえる子どもたちの物語もそろそろ終わりに近づいた時期だったかと思います。後に隆盛を迎える新しい貧困児童文学が描く、現実的な危機である経済格差については、この物語ではまだ触れられていません。石川宏千花さんは、さらにそれを越えていく物語を後に描かれていきますが、ここにあった児童文学の革新もまた特筆すべきものと思います。

小学生の頃から「無敵」を誇っていた亮太と公平。見た目も良く、度胸もあって、頭も悪くない。何をやってもハズすことのない二人は、ランクアップを重ねて、学校では誰もが「くん」づけで呼ぶほど特別視される存在でした。誰もが二人に取り入ろうとして、ご機嫌を伺います。多少、横柄な態度を取ったところで女子の好感度が下がることもない。そんなイケてる二人は中学に進学しても変わらず、自分が悪くてもまわりに謝られるほどの威勢を維持し続けていました。ところが公平の心に兆し始めたのは、そんな周囲のランクづけに乗せられていることのくだらなさです。主人公である亮太もまた薄々そのことに思いあたるところがありました。学校は弱肉強食の世界で、みんなが鎬を削り自分のポジション取り懸命になっている。ここでは自分の流儀も正義感や純粋さなんて通用しない。そんな中で、頂点に君臨していても、なんの意味があるのか。そんな迷いを持った亮太に癒しを与えてくれるのが、同じ団地に住む二つ年上の先輩である、スバルです。スバルは亮太に、何年も前に書かれた学校のトイレの落書きを見せてくれました。それは「死にたい」という誰かの嘆きに「死ぬな」と励ますアンサーが追記されたものです。そんな心の交流に亮太もまた尊いものを感じてしまいます。周囲に溢れている、くだらない人間の欲望やエゴにウンザリしながら、自分の強い立場からならそれを抑え込めるという自負が亮太にはありましたが、それもまた揺らいでいく事態にも遭遇します。暗黒面を抱えた人間の心の闇や、自分たちの力ではどうにもならない運命を前に哀切を抱きながらも、あくまでも飄々と軽やかなフットワークで生きていく少年たちの移り変わりゆく季節が描かれていきます。

印象的なのは、救いようがないダメな人たちの存在感です。大人しい生徒を陰湿にいじめる教師や、図書館に通って小さな女の子に近づこうとする虚言癖のある高校生など、暗黒面を持った人たちがあけすけに描かれます。共感を抱く余地がないねじ曲がった人たちであり、救いようがないまま、物語の中に閉じ込められている。ウェストール作品にそうした悪辣な人が出てくることがありますが、国内児童文学の中で描き出されることは稀です。こうした人たちをただ憎むことができれば良いのですが、その無自覚に哀れで悲しい有り様は、憐憫さえ抱いてしまうものです。救いようのなさに途方に暮れて、閉じた世界で失望し続けるしかないのか。前途のある少年たちのこの世界への失望は、まだ彼らには未来があることで中和され、味わい深い余韻を残したまま物語は終わります。正義や誠意に憧れる気持ちや、尊いものを求める気持ちを純粋に抱いているけれど、学校のヒエアルキー構造で神輿に乗せられている自分たちの存在の虚さ。そこであがく彼らもまた魅力的でした。病気で入院したスバルを励ますために、亮太はスバルが好きな、あの落書きを書いた人物を探しだそうとします。情報を集めるために、あえてネットの学校専用の匿名掲示板を使わず、メールを転送させて繋げていくことにしたのも、亮太なりの誠意です。これも学校裏サイトなどが取り沙汰されていた時代の空気感が前提で、アンチスピリットが反映されていると思ったのですが、非常に微細なニュアンスと、搦手で描かれる純粋な願いが物語の中に沢山、閉じ込められていることを感じとった再読でした。