さよならわたしの本屋さん

Jette.

出 版 社: さ・え・ら書房

著     者: ペーター・ヘルトリング

翻 訳 者: 田尻三千夫

発 行 年: 1996年10月


さよならわたしの本屋さん  紹介と感想 >
子どもが、よその大人のところに「入り浸っている」という状態は、あまり宜しくない、というのが、昨今の風潮かと思います。児童文学には、ちょっと寂しい気持ちを抱えた子どもたちと、一風変わった大人の出会いによって展開する物語は多いのですが、このところの「あやしい大人に対する大人からの警戒感」は著しく、またそうした風潮自体が、新たなドラマを生んだりする、という物語の広がりもあるようです。本書は、子どもと大人の交流が、決して麗しい、ものと思われず、ちょっとした苦味を孕んだものにならざるをえない現代という時代の不幸と、哀切を描いた、なかなか興味深い作品です。

ベルリンに住む少女、イェッテ。両親が離婚して、パパは出て行ってしまい、ママとの二人暮しになったイェッテ。ママは、もう自分のことをママと呼ばずに、カローラと名前で呼んで欲しいと、イェッテに言います。新聞社の編集部でバリバリと働きはじめたカローラは、男友だちとつきあったり、ママモードからのシフトチェンジを行っていました。カローラとしては、母子ではなく、友だちのようにイェッテとつきあいたい、と考えているようなのですが、イェッテとしては、そこのところ、もうひとつ、すんなりと飲み込めないものがあります。それは、十二歳という年齢の複雑なところなのです。だから、イェッテ持ち前の空想癖でも、沈んだ気持ちを持ち上げることが難しかったりするのです。そんなある日、カローラが頼んだ本が届いたので、書店にとりに出かけたイェッテは、店員のおじいさんに話しかけられます。おじいさんは、イェッテと同じ名前の人の物語を知っているよ、というのです。それは、ゲオルク・ヘルマンの小説で、イェッテという女性を主人公にした物語。これまで、あまり本を読んだことのなかったイェッテは、この書店を営む二人のおじいさん店員から、色々な本のことを教わるようになり、本の世界に自分を遊ばせる空想の方法を知るようになっていきます。ところが、ある日、おじいさんたちが、イェッテに影絵を見せてあげようと書店のカーテンを閉めたことで、あらぬ噂が流れはじめます。あの書店の暗闇では、一体、何が行われていたのか、という「邪推」です。悲しいことに、母親や学校の友だちとの微妙な関係の中で、自分の居場所がわからなくなりはじめていた少女が見つけた大切な場所もまた、周囲の大人たちの誤解により無くなってしまうのです・・・。

「大切な心の交流」が、周囲の誤解により潰えていくという、後味の悪いお話です。無論、イェッテの心に残るサムシングはあるのですが、うーん、という感じです。おじいさんの、本にまつわる思い出話や、ナチス時代の過酷な日々のこと。かつての友人や、亡くなった奥さんのこと。イェッテは、この書店に通うようになって、色々な話を聞き、新しい世界を見つけていきます。これまでイェッテの世界には、すれ違わなかった人生を垣間見ることで、彼女の世界は、新たな広がりを持ったのです。周囲との関係に煮詰まったとき、少し違った世界観を持った人たちと交流を持つことは、人生に風穴を開ける処方箋になるのかも知れません。家族や、学校の先生など、ごく狭い範囲の大人としかつきあえない子どもにとって、「お店の人」との交流は貴重な体験となる。けれど、やはり危ういと思われがちなのが、昨今の状況ですね。僕は、子どもの頃から、お店の人と会話するのがとても苦手で、できるかぎりコミュニケーションをとりたくないと思っていました。一度でも話しかけられて、なんとなく顔見知りのようになってしまうと、もうその店には行きたくなくなるのです。要は、気まずいのです。なじみの店に、なじめないタイプなのです。不器用な人づきあいしかできないからなんだけれど、まあ、そういう性格です。皆、苦手なんじゃないかなあ、と思ったら、そうじゃないらしく、会話やコミュニケーションを楽しみにされている方たちもいるらしい。ささやかな「交流」が、誰かの気持ちを救うこともあり、ふさがった気持ちに、どこかから救いの手が差し伸べられることもある。心の世界を広げるために、素敵な人たちと出会う「交流」は大切なのですが、「交流」は楽しく、そして、難しい。本当に、難しいですねー。実際、危ない大人も確実にいるので、子どもたちには気をつけて欲しいと思うところです。変なまとめでした。