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出 版 社: くもん出版 著 者: 神戸遥真 発 行 年: 2025年11月 |
< 視線の先のきみと 紹介と感想>
すごく面白いけれど、実写化は難しいだろうなと思う小説に出会うことがります。一般書の有名どころだと『ババガヤの夜』とか、ちょっと前の作品ですが『葉桜の季節に君を想うということ』など、あの逆転の仕掛けを映像で見ることは可能なのだろうかと考えます。だって、あらかじめ「目に見えて」いるのだから。クライマックスで読者は自分が誤解させられていたことに気づき、前提をひっくり返されて驚きます。映像のない文字情報だけで視覚が制限されているからこそできる仕掛けです。もっとも『姑獲鳥の夏』も『十画館の殺人』も実写化できたわけで、工夫次第なのかもしれません。本書もそうした仕掛けのある物語で、読者は印象をミスリードされていたことに途中で気づき、驚かされることになります。YA系でいえば、あの作品を思い浮かべてしまいますが、詳しく書くとネタバレになってしまうので、この先は語りません。とはいうものの、ミステリーならぬ児童文学やYA系だからこその「逆転の効用」もあるのかと思います。この物語、非常に面白い仕掛けがある上に「正解」がわかったところで読み返すと、味わいが変わるのです。なぜ、味わいが変わってしまうのか。これは自分に思い込みや偏見があるため、つまりバイアスがかかっているからでしょう。前提を覆されることで、それにはじめて気づくのです。エンタメ的な仕掛けの面白さだけではなく、自分の中にあるものとの掛け算で導かれるものがあります。自分を顧みられる、そんな示唆に富んだ作品だなとつくづく思います。
千葉県の房総半島の一角にあるローカルな町、いるみ市に暮らす中学二年生のナツ。内向的で人から注目されることを嫌うナツが手に入れたのは、一定の時間だけ他人の視線を逸らすことができる特殊な能力でした。こっちを見ないで、と願えば、自分の存在を消すことができる。アイズブロックと名付けたこの力のおかげで、ナツは学校でメンタルバランスを保つことができるようになりました。二年前にこの町に引っ越してきたナツは、ある事件のために都会から転居せざるを得なかった家族の秘密を抱えていました。そのことを同じクラスで男子バスケ部でも活躍している相馬に知られて、ナツはなにかと絡まれるようになります。戦々恐々とした日々を過ごしていたナツは、立ち入り禁止の場所の先にあった荒んだ神社で、誰にも注目されずに平和に暮らしたいと願いをかけ、不思議なことに、その望みが叶えられたのです。ところが、クラスの人気者である市川くんにだけは、この力が通じないことに気づきます。市川くんもまた、特別な力を持っていました。他人の感情を読み取れる、その力もまたナツと同じ神社に願って得たものです。しかし、どうしてもナツの感情だけは読み取ることができない。それを不思議に思った市川くんはナツに近づき、やがてお互いが特別な能力を持っていることを知ります。秘密を共有する者同士として関わるようになった二人。ナツは、人気者であり特別な存在である市川くんと自分とはキャラ違いだと引け目を感じ、一方で、市川くんは相馬にいじめられても抗わないナツに苛立ちます。二人にはあらかじめ温度差や心の距離があります。ナツは学校の強者である市川くんに能力が発現した理由を想像すらしないのですが、実は市川くんもまた深淵を抱えていたのです。やがて、アイズブロックを使うことで、市川くんに副作用が生じ、自分にも影響があることをナツは知ります。アイズブロックを使わないことをナツは決意しますが、そのためには、これまでの自分を越えていかなくてはなりません。ナツと市川くん、それぞれ自分が本当に欲していたものにたどり着き、互いを支えあえる関係を見出していくまで。迷走しながらも二人は最適解に近づいていきます。
この物語には「特別な能力」を使うことには代償が生じるという王道のお約束が実装されています。タイムトラベルや魔法の物語などは、なんでもできる分、やりたい放題になってしまうものですが、制約条件によって制御されるところに物語の面白さが生じます。代償はメリットとデメリットとの等価交換です。ゼロサムの関係が成り立つものですが、能力を乱用しすぎたために、足してもゼロより酷い状況に陥ることもありがちです。特別な力で自然を捻じ曲げることによって、不自然な歪みが生じます。とはいえ、もとより歪んでしまっているところが基点なのです。歪んで、捻れている気持ちはどうすればほどけるのか。特別な力による対症療法だけでは治癒することはないのです。さて、誰にも見られず、気づかれず、関わらずに、ただ存在し続けること、は人として難しいものです。少なからず人には承認欲求があります。自分を見ていて欲しいという気持ちは、愛情希求であり、根源的な生存欲求です。それを全く失くした時、人としてはかなりマズイ状態なのだろうと思うのです。目立ちたくないという気持ちと、自分を見てほしいという承認欲求は、中和してゼロになるわけではありません。自分を友愛の視線で見ていてくれる人を見つけた時、人生は輝きはじめます。誰かの視線の先にいる自分を自ら消さないこと。それがこの愛おしい友愛の物語が見せてくれるものかと思います。本書は、主人公たちがまだまだ成熟には遠い、未完成な子どもであることも意識させてくれます。ナツがデリケートなくせにデリカシーがなかったり、その自分本位な内向性も見せつけられます。この身勝手さもまた歪んだ基点を生んでいる要因です。誰かのまなざしを受けとめることには、まあ、そこそこの胆力が必要で、大人になっても思春期をもてあましている諸氏には難しいことでしょう。見つめてたいという誰かの想いままた、これをハラスメントと捉えるか、好意と捉えるかは、見つめられる側の気持ち次第なのですが、ここにある微妙さも見事に描きだした思春期小説として輝く傑作です。
