出 版 社: 国土社 著 者: 山口理 発 行 年: 2003年12月 |
< それぞれの旅 紹介と感想>
一人で旅に出たからといって、人生観を覆すような特別な体験ができるとは限りません。それでも一人旅幻想というものはあって、人生になんとなく行き詰まった時の切り札のようにも思えるものです。実際、その成否は運次第ですが、自ら働きかけることで、結果が変わる可能性はあるのではないかと思いました。学生の時に一度、一人旅をしたものの、とくに思いがけないこともないまま淡々と行程を終えた印象があり、それ以降、仕事の出張以外での一人旅はしていません。とはいえ、自分の中にもっと積極的に変化を求める気持ちがあれば、特別な出会いもまたあったのかもと思わせるのが、この物語の効用です。旅に行楽以上のものを求めてしまうのは、旅が人生に通じる象徴性があるからかも知れません。小学六年生の少年が、一人旅に出ます。どこに行くかも決まっていない、あてのない旅です。家族にも内緒で、となれば、これは家出です。行き当たりばったりで家を出たところで、何が待っているというわけでもない。もちろん物語は、少年に稀有な出会いを与え、ちょっとした試練と驚きと喜びをもたらします。何か事態が好転したわけではないけれど、自分を変えるきっかけがここに生まれました。それはとてもラッキーなことです。ラッキーなことなどないのが人生ですが、自分から働きかけ、また受け止めることで変わることもある。そんな意志と希望が描かれる物語です。
とりたてて理由もなく不登校を続けている小学六年生の男子、空(そら)。親から学校に行けと言われることもなく、放任されている空は、家出することを決意します。これまで貯めてきた小遣いやお年玉の貯金は七万円以上あり、これだけあれば遠くまで行けると空は考えたのです。さて、どこへ行こうか。埼玉県さいたま市の家を出て、京浜東北線に乗って東京駅へ。そこで見かけた京都の観光ポスターに誘われて、空は新幹線に乗り込みます。新幹線の中で、空は少し年上の少年、中学二年生の健吾に声をかけられます。彼もまた家出少年であり、これが三回目だという常習者だったのです。日本で一番、夕日がきれいな島根県の宍道湖を目指している健吾は、家出の先輩として空にアドバイスを与えてくれます。名古屋に住む理解あるおじさんの家を訪ねるという健吾に連れられて、一緒に途中下車した空でしたが、おじさんの家には健吾の父親が待ちぶせており、ここで健吾は家出を断念することになります。宍道湖に行けば、きっと何かが変わるはずだという健吾の言葉に動かされ、空はここから一人で旅を続けます。公園に住むホームレスのおじさんに一晩、泊めてもらい、おじさんの身の上話を聞いたり、樹里さんという一人旅をする二十代の会社員の女性と一緒に京都を巡って、その心中を打ち明けられることもありました。全国を巡り紙芝居を上演しているという老夫婦と知り合い、同行させてもらうことになった空は、やがて夫婦が胸に秘めた想いを知ることにもなります。健吾に勧められた宍道湖まで、空は出会いと別れを繰り返しながら、この旅のゴールへと向かっていきます。少年の心に兆していく変化が、鮮やかな夕日に照らし出されていく、爽やかな物語です。
どうして不登校になったのか。どうして家出しようと思ったのか。ここがはっきりせず、ただもやもやしているのが、空の心模様です。勉強ができる姉のようには、親から期待されていない。あまり自分に関心をもたれていない、とはいうものの、なにか決定的な理由や動機があるわけではないのです。旅の途中、空は色々な人たち人たちに出会い、このもやもやについてそのまま話をします。自分でもよくわからない家出の理由を人が理解してくれるわけがない、と思いきや、これを穏やかに受け止めてもらえた、というのが空のラッキーなところです。もちろん、家に連絡するように促されます。そんな説得よりも、空に変化をもたらしたのは、それぞれの人たちが悩みながらも真剣に生きている姿を感じとったからです。健吾の家出の覚悟に比べたら、自分の家出など単なる遊びだと思ったり、ホームレスのおじさんは元エリートで、その挫折や失意に感じ入ったり、自分をもっとタフにするために旅に出ているという樹里さんの姿に、自分はただ逃げているだけだと思ったり。叱られることがないまま、緩慢に不登校を続けていた空は、家出して、旅に出ても、結局は、誰からも叱られることはなかったのです。それでも、自分を充分に省みることになります。とくに、わずかな余命を、生き甲斐である紙芝居に費やす妻と、それを支える夫の元教員の老夫妻の姿には心を動かされます。古い自分とわかれて、新しい自分をスタートさせる。そんなきっかけを、空はこの旅から掴みます。この物語は「家出のすすめ」ではなく、家出礼賛でもありませんが、少年を人生に真摯に向き合わせる熱いスピリットに満ちたものです。ちょっと羨ましい、そんな時間を追体験できる夏の終わりの旅です。