とうさんは忍者

出 版 社: 教育画劇

著     者: 八束澄子

発 行 年: 1991年11月

とうさんは忍者  紹介と感想>

小学校六年生の公一は、父さんのことを忍者ではないかと思っています。夜、公一と弟のシンタが寝静まってから帰ってきて、起きた頃にはもういなくなっているし、たまに見せてくれる煙を指から出す手品だって忍術かも知れない。そもそも苗字だって伊賀なんだから。もっとも家にいる時は、イライラしていて、口うるさく、騒いでいると叱られてしまいます。一生懸命に働いて、疲れているのはいつものことだけれど、年末になり、父さんの様子がどうもおかしいことに家族も気づきはじめていました。子どもたちへのクリスマスプレゼントを忘れてしまったり、大声でどなりちらしたり、大晦日なのに、やり残した仕事があるからと突然言い出して会社に行き、書類を抱えて帰ってきたり。どうにも様子がおかしいのです。ついには起きてくることができなくなり、正月休み明けの1月4日の出社日に、父さんは頭痛のために会社を休むことになります。その状態が数日続き、精神科を受診した父さんは「こころの病気」にかかっていると診断され、長期休暇をとることになってしまいます。家事をすることになった父さんに代わって、母さんが働き出すようになり、家の中の様子は変わっていきます。会社のコンピュータを連想させる電子音が神経にさわるという父さんのために、弟のシンタは家でファミコンができないことに不満を募らせます。私立中学の受験が目前に迫ってきている公一も落ち着きません。さて、父さんは復調して、仕事に戻り、また目一杯働けるようになれるのでしょうか。いえ、これは父さんが元のハードワーカーに戻ることが人として正解なのかという疑義を突きつける、鋭い切先を持った物語なのです。

この作品が刊行された1991年はバブル好況の真っ最中でした。栄養ドリンクのコマーシャルのフレーズ「24時間闘えますか」が流行語になったのが1989年。時代は昭和から平成に移り変わった頃です。無論、あのCMは諧謔的な表現であったかと思うものの、企業戦士が不眠不休で働くということも、さほど目くじらを立てられることもなかった時代感が思い起こされます。働き方改革が推奨されている現代(30年後の2021年にこの文章を書いています)からはやや信じがたい状況ですが、自分をすり減らしてまで懸命に働くことが会社員の、というか、働く人にとって、高度成長期ほどではないにしても、まだギリギリ美徳だった時代ではないかと思います。労働者の人間疎外も甚だしいところです。八束澄子さんの作品では、こうした企業戦士である父親の悲哀がよく描かれています。『ミッドナイト・ステーション』(1987年)では単身赴任したまま、なかなか家族の元に戻れない父親を長男の視点から、『ディア・ファーザー』(1994年)では過労死した父親を長女の視点から描いています。働きづめで父親不在の家で、家族を支える母親の姿や、それぞれ淋しさを抱えた子どもたちの心情もまた胸に迫るものがありました。本書のあとがきには、夫の海外赴任に帯同した八束澄子さんたち家族のアメリカでの経験が綴られており、アメリカ人と日本人の仕事や家庭に対する態度の違いについて言及されています。アメリカ人の子どもたちの父親は早く家に帰ってきて子どもたちと交流しているのに、何故、日本人のお父さんはずっと家に帰ってこないのか。そんな日本人の働き方への疑問が物語の起点になっています。八束澄子さんの作品は、社会問題にコミットする先駆的なテーマを持ったものが多いものの、社会派を標榜するものでも、社会悪を摘発するものでもなく、ただ「家族」という結びつきを支点にして、「働く人」である父親の存在を捉えていきます。主人公は大抵、兄弟姉妹がいて、年齢差のあるそれぞれの視座から家族に起きた事件を浮き彫りにしていく手法も威力を発揮します。この物語でも、父親に反発しながらも自分も同じレールに乗りつつある公一と、まだ幼い弟のシンタの聞き分けのなさとの違いが真を穿ちます。会社や社会ありきではなく、家族の結びつきこそが大切にされるべきものです。そんな当たり前なことをストレートに感じとらせる物語の意志の強さに、深く感じ入ってしまうのです。

実際のところ、一度会社を休職すると、二度と以前のようには働けなくなります。自分も経験したことであるので、実感をもってそう言えます。きれいごとを言えば、価値観が変わり、心が解放されて、物事に捉われなくなります。一方で、社会の競争を下りてしまったような失意もあり、達観したフリをしていなければやり過ごせない、やるせ無さもあるのです。自分や家族を顧みず懸命に働くことには、ハードワーカーとしての耽溺があって、少なからず矜持もあったりするので始末に負えないものなのです。この物語の終わりに、父さんが中学受験に失敗した公一に静かに語って聞かせる場面は、とても印象深く胸に沁みます。人の生き方はさまざまだ。人との競争ではなく、自分がいきいきできる事と場所を見つけることだ。その言葉を公一が、父さんから伝授された「秘伝」だと思うあたり、忍者が効いてくるところですが、僕には、どこか父さんが寂しそうに思えてしまうのです。父さんはどこまで本気でそう思っているのだろうか。いや、これは僕の妄想なのかも知れないのですが。このハードワーカーへの未練が、人間を狂わすのはわかっているので、自分も要注意なのです。ともかくも、人として豊かに楽しく生きるために、大切にすべきことは何か。子どもたちの視座から、父親自身が気づいていくプロセスを描いていくこの物語の伝えることを、肝に銘じなくてはならないと思うのです。