出 版 社: 集英社 著 者: 浩祥まきこ 発 行 年: 1998年09月 |
< やさしい雨 紹介と感想>
心のドアを閉ざして、誰も入ってこられないように内側から鍵をかける。もう大丈夫、この部屋は汚されることはない。誰にも土足で踏み込ませはしない。自分だけの安心できる場所。でも、誰もいない寒々しい一人ぼっちの部屋。この部屋の中でなら、私は自由。でも、それが幸福なのだろうか。本当は、誰かがノックしてくれるのを待っているのかも知れない。自分の心のドアを開ける鍵を持っている人が、訪ねてくるのを密かに待ちわびているのかも知れない。ドアの合鍵を持っている誰かへの淡い羨望と期待。シンパシーを感じてみたい。心がひとつになる瞬間を経験してみたい。でも、それはとても恐ろしいこと。これ以上、傷つけられないようにせっかくドアを閉じたのに。ドアを開くには、勇気が必要。もう一度、顔をあげてみる。自分の周りにいる人たちの顔を見る。意外に、優しい眼差しを私に送ってくれているのではないか。いや、騙されてはいけない。もう誰かに傷つけられる必要はないんだ。私は、一人でも、いいんだ。・・・というような、悶絶の堂々巡りを未だに繰り返している子どもでも大人でもある貴方におすすめの一冊です。コバルト文庫の至宝、浩祥まきこさんの『やさしい雨』。むしろYA、児童文学派の方たちからの越境アプローチをお願いしたい作品です。ここにも、思春期の繊細な心のおののきと、豊かな感受性が満ち溢れています。
三人の女子高生を主人公にした連作中編集です。三篇に共通する登場人物たちが、それぞれ主役を務めるストーリー。やはり魅力的なのは第二話『水の中の月』の主人公、片瀬歩です。第一話『やさしい雨』の中で、心を閉ざした頑な転校生である主人公、月島律に近づいてこようとする彼女に対して、律は思います。『可愛くて優しくてお節介焼き、クラスの人気者で、幸せなことだけを見つめて生きている人』だと。心に荊を抱えた律には、歩が幸福そうな人間にしか見えません。自分とは全く違う人間。自分から人と関わることをやめた律は、学校でも浮き上がった存在になります。そんな律に、歩の言葉が突き刺さります。人から孤立することの痛みを、厳しく優しい横顔で自分のことのように受け止める歩。彼女の真摯な訴えが律の心に小さな変化をきざしていきます。歩はけっして強くはありません。三年前、中学三年生のとき、いじめられて心の痛みを沢山、味わっていました。そんな頃、出会った一枚の絵から始まる物語が第二話。小さな絵画グループの展示会で見かけた絵。光を放つ絵の力強さ。そして、その絵を描いた不機嫌そうな男の人。泣いていない歩に、一言、『泣くな』と言って去っていった人。何故、私が泣いていると思ったのだろう。その言葉で、胸に抱えたすべてのつかえが一気にはきだされてしまう。歩は、その男の人と、偶然の再会を果たします。高校に赴任してきた美術教師、そして、自分の所属する美術部の顧問、堂野先生として。でも、歩と四年前に会っていることは、全然、覚えていない様子。いつも素っ気無く、冷淡な態度しかとらない堂野の心に刻まれた深い傷と、その孤独の深さを歩は知ってしまいます。自分の心の奥の中に潜む、雨の日の遠い記憶、それは、自分がいじめられていた時代の、痛みと悲しみ。暗い闇を抱えている自分と堂野先生の痛みがオーバーラップします。先生は、どうやって、心の傷を光に変えてきたのだろう。自分は、いじめられていることを認めることもできず、認めたら負けのような気持ちで、誰も助けてくれないのを承知で唇を噛み締めて生きてきた。それが、先生の絵は、暗闇の中の一筋の光を信じようと思わせてくれた。先生が振り向いてくれなくてもいい。月に手が届かなくても、光があるかぎり私は見つめていく。歩の思いが、切々と綴られる淡い痛みを孕んだ成長の物語です。
三話目は、ちょっと異色な作品となるのですが、また一人、孤独な魂を抱えた女子高生が物語の主人公となります。ここでも片瀬歩は優しい先輩として、後輩に愛情を与える人として登場します。自分が痛みを知ることで、それを他の人への優しさに還元できるかどうかは、個人差があるものかも知れません。ひねくれて意地悪な人格が形成されることも稀ではないでしょう。しかしながら、こうした思春期の心の揺らぎが、純粋な優しさの結晶として美しい心を紡ぎだす繊細な物語として描かれても良いのではないか、と幸福な気持ちに充たされた気分になれる満足の一冊です。耳を澄ませて、誰かが心のドアをノックする音を聞いてください。誰かと手をつなぐチャンスは、まだあります。