出 版 社: フレーベル館 著 者: あんずゆき 発 行 年: 2023年07月 |
< アゲイン 紹介と感想>
子どもたちに安価や無償で食事を提供する子ども食堂の起源は2012年。東京にある八百屋店の店主が始めた活動が全国に広がったものだそうです。となれば、遥か未来、独裁的な子ども食堂帝国によって支配された世界で、その圧政に抵抗する人々が、最後の希望としてタイムマシンで2012年の過去に工作員を送りこみ、この最初の子ども食堂が存在しないようにしようとするという物語もありそうな気がしますが、トンチキ過ぎますね。そんな妄想を広げてしまうほど、子ども食堂というものの社会的認知と広がり方にはスピード感があるなと思うのです。つまりは、それほど子ども食堂を必要としている子どもたちも多いということであり、そんな社会の状況を考えさせられます。近年、子どもたちの貧困を描く児童文学作品が多く書かれていることもあり、子ども食堂は物語の中にも随分と登場するようになりました。本書のように子ども食堂がメインテーマとなる作品もいくつかあります。単に食事を提供してくれる場所というだけではなく、そこに集まる子どもたち同士に交流が生まれ、人が繋がっていくハブとなるハイパースペースとして描き出されるのが、子ども食堂です。おおよそ民間のボランティアや善意によって運営されており、本来は国が福祉施策として行うべきものではないのかと思ったりするのですが、それはそれで、気概のある善意の大人たちが子どもたちを見守り、善導してくれることが頼もしくもあるものです。ここもまた、子どもたちの居場所を提供するサードプレイスです。苦境や孤独をケアし、閉塞感のある教室から子どもたちを解き放つ、異文化交流が生まれる場所としての子ども食堂は、まだまだ新たな物語を孕んでいそうです。
自分に自信がなく、なにごとも自ら決めることができないタイプの小学生女子、葵(アオイ)。仲の良かったリーダータイプのサツキにもあいそをつかいされてしまい、教室で孤独をかこつことになりますが、一年前にこの学校に転校してきた八神さんと話をするようになります。やはり一人で過ごしているタイプながらも毅然とした態度をとっている八神さんにアオイは憧れを抱いていました。次第に親しくなりながら、どこか不自然なところがある八神さんに、家庭の事情があることをアオイは知ってしまいます。それは八神さんが「フードバンク AGAIN」という看板が立つ場所に行こうとするところにばったりと出会ってしまったからです。そこは「子ども食堂」と呼ばれる、経済的に恵まれない家庭の子どもたちなどに食事を提供している場所でした。シングルマザー家庭で、経済的に苦しく、ここで食べ物を分けてもらうこともあるという八神さんは、それを恥ずかしく思っているようです。アオイもまた、父親が経営するカレー店が不調であり、潰れてしまうのではないかと危惧しており、自分も貧しくなったらどうすれば良いのかと思いを巡らせるようになります。八神さんの秘密を共有することになったアオイは、一緒に子ども食堂アゲインに出入りするようになり、ここに食事にきている中学生でボーイズグループに入ることを目指しているリュウヘイとも親しくなります。やがて八神さんは母親とともに祖父のもとに身を寄せるため転校することになったため、残されたアオイは一人でアゲインにきて、ここの仕事を手伝い始めます。自分に自信がなかったアオイが、子ども食堂を通じて、それぞれの家庭環境に生きる子どもたちや、子どもを支援する大人たちと交流することで考えを深めていく物語です。
コロナありの世界観を描く物語です。すでにアフターコロナです(本当にアフターなのかどうかと思っている2024年現在ですが)。飲食店がようやく営業できるようになったものの、客足は少ないまま逆に競争は激しくなり、アオイの父親の店の経営が立ち行かなくなった状況が描かれます。コロナ禍にはこんな余波もありました。まだ回復しない社会で、親の仕事や収入が安定しないということは、子どもたちを不安にさせるものでしょう。これには程度の差があって、将来的な進学に影響を与えられそうで心配しているレベルから、日々の食事に事欠くレベルまでさまざまです。他の人に比べればマシだから我慢しなければならない、という考え方にならないようにと思います。辛いものは辛いのです。そこでこの不安をどうシェアして助けあえるかが問われています。家が経済的に豊かでも、孤食の問題もあります。子ども食堂はこうした子どもたちの空腹を満たすだけではなく、メンタル的なサポートにも一助を与えているようです。かつては子どもが、ただ「我慢していた」ことがケアされるようになっているのは、ありがたいことです。自分が子どもの頃、経済的には安定していたのですが、父子家庭で、そこそこ食事の苦労がありました(まあ、なんでも自分で作れるようにはなったは良かったのですが)。で、考えるのは、そうした場所が近くにあったとしても、やはり利用するのは抵抗感があったのではないかという気持ちです。感謝しながらも「できれば子ども食堂には、やっかいになりたくない」という子ども自身の気持ちが見え隠れし、その葛藤自体が物語になっているのが、現在時点(2024年)です。なんの屈託もなく、子ども食堂を利用できるようになれば、物語もまた変わっていくのかと思いますが、そもそも子ども食堂がなくても良い世界が実現できればという命題もあるので、矛盾した社会の現在地が、こんなふうに物語に繋ぎ止められている気もします。そんな社会を生きている子どもたちに寄り添うのが児童文学の真骨頂でもあるのです。