君の膵臓をたべたい

出 版 社: 双葉社

著     者: 住野よる

発 行 年: 2016年05月

君の膵臓をたべたい  紹介と感想>

変なタイトルだな、という第一印象を抱いてから、読むまでに時間がかかったのは、いつの間にか、大ヒット作品になってしまっていたからです。だったらきっと面白い作品に違いないと意気込んで手に取るべきなのに、そうできないのが自分のスノッブなところです。ということで、多年にわたり、余命モノ、泣ける、など評判を耳にしながらも、この変なタイトルの意味を知ることはなく、ハンニバル・レクター博士じゃないんだから、ぐらいにしか思っていなかったのです。このタイトルが、誰かをリスペクトする、というニュアンスであったとは読んでみて驚きました。「きみの膵臓をたべる」は「爪の垢を煎じてのむ」に代わる新しい慣用句の誕生だったのです。難病で余命僅かな少女と、同級生の少年の悲恋モノみたいな勝手な憶測をしていたのですが、そうではない。ここに描かれた少女と少年の友愛の物語は、人は人とどう関係性を築くべきかについて示唆を与えるものだったことに、ちょっと驚いています。正直に言うと、読まずに勝手に見下していたのです。世間一般にウケているというだけの理由で。それはつまりは、自分が世間を舐めていたということだと反省しています。死ぬとか生きるとか、人を好きとか嫌いとか、そんなことではなく、人は、どう立っているべきか、どう支えあうべきか、を考えさせる物語です。年少の登場人物たちですので、人生経験は少なく、その思慮もまだ浅いのですが、その青さこそが鮮烈な希望です。麗しいものです。

主人公の少年、高校生の春樹が病院で拾った一冊のノートには『共病日記』という題が付けられていました。中を見ると、それは膵臓の病気に苦しんでいるという内容の闘病日記でした。そこにノートを落とした当人が現れます。それは、同じクラスの少女、咲良(さくら)です。明るく社交的で可愛らしい咲良は人気者。つまりは、孤独癖があって人と関わりを持ちたがらず、友だちもいない春樹とは真逆のタイプなのです。この病気は治る見込みはなく、咲良の余命も僅かであることを春樹は打ち明けられます。かといって、それで春樹は咲良に同情するでもなく、相変わらず無関心を装います。そのことを誰かに話すこともありません。それでも、彼女が学校で、その秘密を抱えながらも明るく振るまっている姿は、さすがに多少、気にはなります。それでも素気ない春樹に、咲良は積極的に声をかけ、いろいろな場所に連れ出しては、彼女が死ぬ前にやりたかったことにつきあわせます。唯一、秘密を知る者として、仕方がなく咲良につきあう春樹。クラスで真逆のタイプの二人がつきあいはじめたのかと驚かれ、噂になったり、春樹は嫌がらせを受けたりしますが、基本、気にはせず、春樹は淡々と咲良の誘いにのり続けます。可愛い子に誘われているからといって別に嬉しいということもなく、むしろ迷惑なのが春樹なのです。二人は一緒に行動する中で、多くの会話を交わしていきます。価値観や世界観が違う二人。咲良はなるべく多くのことを春樹から聞き出そうとし、彼の考え方に興味を持ちます。やがて、人に関心を持たないはずの春樹も、咲良の積極的に人と関わろうとする姿勢に、気持ちを動かされていきます。咲良の病状は悪化し、余命はさらに短くなっていく中で、咲良に対して、人としてのリスペクトを抱いた春樹はその気持ちを捻った表現で伝えようとします。しかし、思わぬ形で咲良は命を落とすことになります。春樹の咲良への気持ちは伝わったのか。また咲良が春樹に残したかったものとはなにか。大いなる友愛がここに結ばれます。

“人に依存したり、承認願望があったり、人間はどうしても他人を必要としてしまうものです。人の目を気にしているどころか、誰かに褒められたいということが動機になっていることもあります。誰かに評価されたいと思ったり、期待されたくなってしまう。本書の主人公はそうした煩悩から解放されている変わり者の高校生男子であり、他者の思惑など気にしない性分です。もともと人と関わり合う気はないのです。それは自意識過剰な年頃としては美質であるかも知れないし、あるいは、どこか淋しい孤高かも知れません。そんな主人公の少年の揺るがない世界観を揺るがす難敵は、余命いくばくもない難病の少女です。今にして思えば、何故、彼女は、この頑なな少年を、人と関わるという、地獄の坩堝に巻き込もうとしたのか。彼女は、自分と親しくして欲しいということではなく、自分の死んだ後にも、この少年が、他者と、この世界ともっと関わって、誰かと繋がっていて欲しいという願いを託したのです。それは自分が死ぬ前にやっておくべき挑戦として、彼女の胸に兆したものだったのかもしれません。大いなる友愛をシェアして、人は信じるに足るものなのだと少年を覚醒させた少女は、まあ、実に罪なことをしたものです。そのバトンを託して、走り続けてもらう。それは人間になったピノキオのように、人形だったら感じなくて良かった気持ちを知ってしまう苦行も孕んでいます。ただそれは不幸ではない。この主人公のように、人から何かを与えてもらえるというのはラッキーなことです。そんな機会はなかなかあるものではない。でも、自分から誰かに与えることは、気持ちひとつで始められます。自分から始めるということ。誰かに関心を持ち、声をかけるという勇気がここに輝きます。人との関係性を築く、ということはとても億劫なものです。信頼関係などというものになると、遠大な積み重ねが必要となります。それでもチャレンジする気概を、その大志を抱けと励ますのが、たまたま難病の美少女であっただけ、の物語で、そこに恋愛の要素が見え隠れしてしまうのはまやかしです。当初名前を記されることがなかった主人公は、通称で呼ばれていますが、終盤、その「作家のような名前」、志賀春樹、が明らかになります。人に認識してもらうためには名前が必要です。名前を名乗り、自分を意識してもらうこと。主人公が名無しを止めたことに、他者と関わる決意を感じます。 “