世界のはての少年

WHERE THE WORLD ENDS.

出 版 社: 東京創元社

著     者: ジェラルディン・マコックラン

翻 訳 者: 杉田七重

発 行 年: 2019年09月

世界のはての少年 紹介と感想>

無人島に行くなら何を持って行きますか?というベタな質問がよくあります。トンチで返すも良し、真面目にサバイバルグッズ系を上げるも良しですが、ここで「信仰心」と答えると微妙な反応を得ることになるでしょう。それがイコール「折れない心」なのかと言われるとそうでもない状況を生むのが物語です。孤独のうちに過酷な状況を生き抜くのであれば、自分を支えてくれるものになるかも知れないのですが、集団の中にこの要素が入ってくると、時にカルト的な狂信にも発展するテコとなる状況も考えられます。無人島で子どもたちがサバイバルする物語は多々あります。『蝿の王』的なマズイ状況も思い浮かびます。子どもたちを正しく導く道徳律があれば、あるいは悲劇は起きなかったか、などと考えるところですが、やはり狂信的な方向に向かう集団心理は警戒したいものです。冷静に、合理的に対処できないのが極限状態というものでしょう。本書も、いわゆる孤島モノです。孤島に取り残されたのは、九人の子どもたちだけではなく、三人の大人も一緒でした。この大人たちが、窮地において集団を適正にコントロールできなかったことが問題なのですが、人が集まるところ往々にしてトラブルは起きるものだし、大人もまたどうしたらいいのやら、のはずなのです。18世紀初頭のイギリスの僻地に暮らす人々。彼らのベースとなっている信仰心や因習など、その考え方が、窮地においてどう働いたかにも惹かれるところがありました。この世界には因果律などないはずですが、悪いことが続けば、吉兆を占いたくなり、より信心深くなるものです。開明的ではない時代の人たちが、究極の状況の中で、何を信仰し、何に救いを求めたか。奇跡のような史実を、卓越した作家の想像力が編み上げた物語です。実に面白いのです。

18世紀初頭、英国の北部、セント・ギルタ諸島にある、人の住む島、ヒルタ島。岩だらけで木も生えていない島に暮らす村人たちは狩猟をするために、船に乗り、島を離れて沖合にある戦士の岩と呼ばれている巨岩を定期的に訪れていました。数週間をかけて、この巨岩に滞在して、鳥や卵を獲り持ちかえるのが村人の仕事です。今回は新参も含めて、九人の少年たちと三人の大人がこの遠征に出ました。狩猟は順調に進み、あとは迎えの船が来るのを待つばかりだったはずが、三週間以上が経過しても、なんら音沙汰がないのです。元より、通信手段などありません。いつまで経っても迎えが来ない中で、先の見えない過酷な僻地での滞在が続きます。自分たちは忘れられたのか。敬虔な幼い少年ユアンは、世界の終わりがきて、自分たちだけが取り残されたのだと啓示を受けたと言います。外の世界は滅んでしまったのではないか。そんな不安を募らせる日々に、大人たちの態度も変化していきます。リーダーであるはずのファリス先生は失意のあまり悲観的になり、統率できず、一方で、大人の一人で、普段は教会の墓掘りとして働くコル・ケインが、まるで牧師のようにふるまいはじめ、子どもたちに訓戒を垂れ、告解を強要するようになります。島の人々は信仰が篤く、敬虔であり、吉兆を気にしています。それでも、次第に横暴になり、厳しい戒律で支配しようとするケインに子どもたちは辟易し始めます。少年の一人であったジョンが、男の子として育てられながも、実は女の子であったことが明らかになり、それもまた波紋を呼びます。ジョンを独占しようとするケインを別の島に追放することができた少年たちは、疲弊し、思わぬ事故にも見舞われます。それでも栄養も衛生環境も悪い過酷な状況で九ヶ月を過ごした彼らは生きのび、やがて転機が訪れます。ヒルタ島への帰還は、しかしながら、船が迎えに来なかった驚くべき理由を、彼らに教えることになるのです。

合理的な判断ができていたら、もうすこし状況は変わったのだろうかと考えます。そういった意味で、信仰心が判断を鈍らせたのではないかと思うところもあります。同行した大人で職人のドーナル・ドンは、助けを呼ぶためのアイデアを口にし、筏を作ろうとしますが、協力を得られません。大人も子どもも団結して、建設的にことに当たれば良かったのでしょうけれど、まず大人たちからしてバラバラで、ケインの暴走を許すことになります。不安に苛まれながら、あてどなく助けを待つしかない状況で、人はどう生きのびる意志を持てるのか。外の世界は滅んでいるという可能性を否定できないとすれば、どこに希望を見出せば良いのか。そうした中で、この物語の主人公として描かれる少年、クイリアムの行動は考えさせられるものがあります。この島の生活の中で、彼の心の中には、かつて島にきた代理教師で、三歳歳上の少女、マーディナの面影が息づいています。二度と会うこともないだろう片恋の彼女を胸に抱いている少年なのです。彼の思慮深さは、この集団において個性の光を放ちます。みんながこの窮地で生き甲斐を失わないよう、それぞれに番人としての役割を与えたり、絶望の中で、そんな時こそ創造性を発揮すべきだと主張して、信仰に妄執するケインとも対立し、追放されることもありました。この過酷な日々を生き抜いたクイリアムの思わぬ後日譚は、彼の主観から語られないがゆえに、味わい深いものになっています。こういう運命のめぐり合わせもまたあるかと、ついぞ運命などと口にしてしまうのが人間で、なかなか合理的にはいかないものですね。鳥を捕らえ、その脂を燃やして灯明にしたり、食糧にもする。巨岩での生活のディテールや、そもそもの村の暮らしなどがとても興味深いです。とはいえ、集団生活のサバイバルは、人間の心の闇がクローズアップされがちです。御し難いのは、やはり人間なのです。