イーブン

出 版 社: 小学館

著     者: 村上しいこ

発 行 年: 2020年06月

イーブン  紹介と感想>

毒親に対して子どもが訣別する物語を児童文学で目にすることが多くなっています。そこまで極端ではなくても、親に複雑な感情を抱く子どもに、どんな親でも愛さなければならない、という呪縛から解き放つような、固定概念を覆す物語が増えていることもトレンドかと思っています。母親と娘の難しい関係や、父親や母親のモラハラやDVなど重いテーマに切り込んでいく物語も多く、現代の国内児童文学がまさに攻めている領域だと思います。そうした中で本書のスタンスはまたユニークなものです。主人公の両親の人物像が複雑です。良い点と悪い点が混在して止揚しているところは、とても人間的でリアルだと思います。父親のDVが取り沙汰されるところですが、自分ではコントロールできないタイプの「悲しきD V」です(だからと言って許されません)。父親をキレさせる母親の「物の言い方」にも問題はあり、そうした彼女の性格がアンガーマネージメントができない(実は生育歴に要因のある)父親にスイッチを入れてしまうのも、不幸な関係だと思うのです。この二人でなければこんな酷いことにはならなかった、という組み合わせなら別れた方がお互いのため。となると、この二人だからこそ生まれた娘は自分の存在をどう考えたら良いのかと。そこからの、娘が両親を捉えていく視線と働きかけが物語を飛躍させます。僕はやや父親に同情的です。母親の独善性は確かに善を為していて、尊ぶべきところなのですが、一緒にいる人間を傷つける鋭さがあります。それが無造作で無意識であるために傷ついた側の立場としては、激しい怒りで表現するしかなくなってしまうのです。一方で母親もまた傷ついた思いを抱えたまま生きています。ただ、互いのその心の深淵にあるものは伝わっていないのです。この捻れた関係性からの歩み寄りが、本書の見どころです。中学一年生の女の子が見据える人と人との関係性の不思議はまた、人が働きかけ、変えていける世界の可能性をも示します。

中学生になったばかりだというのに、友だちとのトラブルからクラスで孤立して、不登校になった美桜里(みおり)。家に空巣がはいるという事件が起きて、家に昼間、一人でいることもできなくなり、祖母の元に身を寄せることになります。ここで美桜里は、祖母が趣味で手芸品を出店している手づくり市仲間の貴夫ちゃんというオジさんと、彼と一緒に暮らしているトムという十六歳の少年と親しくなります。学校に行っていないというトムと一緒に、貴夫ちゃんの商売であるキッチンカーでのカレー販売を手伝うことになった美桜里は、次第にトムと打ち解けていきます。カッとしてキレてしまう父親と、それを悪意なく煽ってしまう母親。離婚した両親のそれぞれの悪かった点を慮りながら、どうすれば良かったのかと考え続ける美桜里は、自分自身が学校で傷ついた気持ちを上手く消化できなかったことにも心を痛めています。トムもまた実の親からのネグレクトで傷ついた子です。トムは自分の辛い生い立ちを桜美里に話して、イーブン(対等)な立場で、美桜里のわだかまる気持ちを聞こうとしてくれます。そんな励ましを受けて、次第にトムに好意を抱くようになった美桜里。父親と母親、それぞれの良いところと悪いところををフラットに捉える美桜里は、両親もまたイーブンな立場で話ができるようにと働きかけていきます。父親が母親に打ち明けられないまま胸に秘めていた思いを告白する場面は胸を打ちます。人は哀しい思いをどう消化したらいいのか。胸の奥に潜めることで耐え続けても、それはいつか破綻を招きます。人がより良く生きるための示唆に富んだ物語です。

「イーブン」というタイトル通り、対等な立場で人と向き合うことがテーマになっています。これは負荷をあえて自分で背負うことでバランスをとっている(それでいい気になっている)、カッコつけた人間にとっては身につまされるテーマです。対等な関係になると自分が要らなくなってしまうような気持ちになる心の隘路もあります。一方で、実は無意識に人に負荷を背負わせていることもあるやも知れず、自分の挙動を見つめ直すと、沢山、反省点が浮かんできます。対等な関係性で人と向き合うこと。相手に負荷をかけず、自分も負荷を負わず、腹蔵なく話しをする。それには勇気が必要です。また、ここにさらに男女の性差や社会的格差などの観点も入ってくると、個人の意識だけでなく、世の中を変えるムーブを起こす必要が出てきます。そうした変革意識も涵養する物語でもあり、大きなテーマを考えさせられる物語です。さて、お酒を飲んで暴れる父親が「しょうがない父ちゃん」レベルで容認されていた時代もありました。アムロ•レイ氏の名セリフ「親父にもぶたれたことないのに!」から類推すると宇宙世紀になっても、殴る父親がいるのかと途方に暮れたりするのですが、実際、ファーストガンダムの1979年の時代感としては腑に落ちます。D Vやハラスメントを、時代が許さなくなったことは喜ぶべきことで、配偶者や子どもが守られることも、モラルが強化され猛省を促すことも良しだと思います。一方で、怒りを爆発させることでしか気持ちを伝えられない人の不器用さに、哀しみと愛おしさを感じます。勝ち抜き正論合戦だけでは見失われるものがあり、頭で考える人と心で感じる人は平行線をたどります。自分がたとえ間違っていたとしても、あるいはそれ故に応援してもらいたいのです。そんな気持ちを話しても笑われないのかな、なんて、やはり思ってしまいますね。人と真正面から対峙することの難しさを越えていく子どもたちと大人たちに勇気をもらえる物語です。この作品、読書会などで色々な人の意見を聞きたくなりますね。ああ、いつもながら、まめふくさんの挿絵の構図は良いなあと思いました(そこは腹蔵なく言っておきます)。