出 版 社: ほるぷ出版 著 者: ジョン・デヴィッド・アンダーソン 翻 訳 者: 久保陽子 発 行 年: 2018年04月 |
< カーネーション・デイ 紹介と感想 >
小学六年生の男子が担任の先生のことを大好き、だなんて言葉にするのはなかなか難しいことだと思います。それが若い女の先生であればなおさらです。たとえ心からそう思っていたとしても、照れ臭いやら何やらと障壁があるもの。やはり「年頃」というバイアスがかかってしまう。で、この年頃の男子を経験したことがある自分としては、この物語の主人公の三人の少年のナイーブさと一途さにかなりグッときてしまっています。気持ちを素直に言葉にすることはできなくても、大切な人のために真っ直ぐ突っ走るのが男子たるもの。子どもには無理なことも多いし、なかなか計画通りには進みません。困難が立ち塞がる時には、あらためて自分の気持ちに向きあうことにもなります。もとより子どもには手に負えない深刻な状況です。検査でガンが見つかったビクスビー先生は、担任の六年生が残り一ヶ月で卒業するというのに、学校にこれなくなってしまいました。卒業を一緒に迎えられないどころか、先生自身が戻ってこれない場所に行ってしまう可能性もあります。一年後の生存率も高くない部位のガンです。自分がガンであることを生徒に告げたビクスビー先生。三十五歳で、ピンクのメッシュが入った髪の毛で、黒板にチョークで格言を書くことが好きで、『ホビットの冒険』を声色を使って読んでくれる。プロのマジシャンになりたかったなんて、先生としては変わった人。きびしくて、やさしくて、ユーモアがあって、ちょっと自信家のところもあって、生徒の良いところを見つけ出すのが得意で、ちゃんと話を聞いてくれる人。だから、生徒に人気があります。ビクスビー先生が最後に学校にくるはずだった日。先生の様態は悪くなり、予定よりも早く入院して特別集中治療を受けることになりました。先生に伝えたい言葉があったブランドは決意します。友人のトファーとスティーブを誘って、学校をサボり、先生の入院している病院に行き、そこで、先生の望みを叶えることを。少年たちの想いがあふれる、切なく愛おしい物語です。
少年たち三人組。語り手を交替しながら、それぞれの主観からこの物語は進行していきます。親近感を抱いてしまうのはブランドです。彼が友人たちを自分の家に誘えないのは「事情」があるから。母親は小さな頃に亡くなっており、父親に男手で育てられたブランド。建築現場で転落し、大きな怪我をした父親は、歩けなくなっただけではなく、一切の気力を失っていました。補償のおかげで金銭的には困らないものの、ひがな一日、興味のないテレビを見続けている父親の傍らで、家事に追われている少年の胸中を想像すると、胸が痛くなってきます。ただブランドは愚痴もウェットなことも語りません。五年生の時、転校してきた学校で親しくなった少年たちは、二人ともちょっとした天才でした。トファーは芸術家タイプで、絵の才能があり、作文もうまい。スティーブは驚異的な記憶力があって、膨大な知識を持っている。ブランドは二人に比べて、自分には何もないと思っています。一方で、そんなブランドが言葉を巧みに使うことに一目置いているトファー。両親からかまってもらえていない自分に価値を見つけられません。スティーブもまた、過保護な両親に過度な期待をかけられ、優秀な姉と比較されることも気に病んでいます。もともと友人同士だったトファーとスティーブに、ブランドが加わったバランスも微妙で、この三人の関係性と交錯する気持ちが実に読みどころです。ビクスリー先生に会いに病院に向かう途中、それぞれが隠し持っている想いが、明らかになっていきます。それでも一番肝心なことは言葉にされていないような、伝わらないような、そんな距離感の歯がゆさもまたいいんですね。
ビクスビー先生のような豊かな人に出会えることは人生のレアケースです。その人が担任の先生であることも相当なラッキーなことです。言葉の宝箱から沢山の格言を取り出してきて、子どもたちを励ましてくれたり、その子の良さを見抜いて、懸命に応援してくれる。ちょっとのルール違反なんかは省みず、困っている子どもをサポートしてくれる。学校という組織的にどうかはともかく、型破りな魅力に溢れた人です。ブランドは、そんなビクスビー先生に「借りがある」と言います。だから、借りを返したいのだと。先生をびっくりさせたい、というのは、先生を歓ばせたいという気持ちの表れだったのだと思います。助けになりたい、と言ってくれた先生の好意にどう応えたらいいのかわからない。その好意を、ただもらっていいのかどうか、これには悩みます。愛情を与えてもらうことに悩んでしまうのは、自分はそれを受けとっていい人間なのかどうか自信がないからです。ブランドは借りを返せたのか。いえ、さらに多くのものを先生からもらったような気がするんです。先生を驚かせる計画は、まったくスマートじゃない結末でしたが、それでも決して失敗ではなかったのだと、少年たちも感じたのだと思います。三人が一緒に過ごしたビクスビー先生の「最後の一日」。先生の輝きに照らされた三人は、自ら輝く人になって、誰かを照らしていく。そんな連鎖があれば、命は永遠なのだと、うそぶくことも出来そうな気がするのです。