ガツン!

Slam.

出 版 社: 福音館書店

著     者: ニック・ホーンビィ

翻 訳 者: 森田義信

発 行 年: 2009年10月


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階級社会ってこういうことなんだなと、イギリスを舞台にした物語を読むたびに再認識させられます。とくに労働者階級側の視点からの物語だと尚更、その切実さがわかります。社会の下層の住人が感じている鬱屈なんて上層の人間は知る由もない。そうした社会の歪みは、YA作品にも見ることができ、子どもたちの社会に対する怒りた諦めが胸に響きます。所得や生活水準の問題だけではなく、人間としての種類を分けてしまうような階級意識。日本の格差は、まだ社会階級というほどじゃない気がしますが、これも人によって感じ方が違うだけなのか。誰もが人としてのプライドを保ちながら生きています。馬鹿にされたくはないし、だったら、人を馬鹿にするべきではない。いや、まったく人を馬鹿にしない生き方も難しいのではないか。人生の大半は内なる差別意識との闘いではないかと思い知ることもあります。ということで、このロンドンに住むスケートボードが好きな少年の物語には考えさせられるところが多いんですよ。

サムの親族には誰も大学まで進学した人がいません。両親はサムを妊娠したことで十六歳で結婚。サムの母親は育児をしながら夜間学校で勉強して資格をとり事務職の仕事を得たけれど、配管工の父親がコンプレックスを感じて夫婦仲はギクシャクして離婚。今、十六歳になろうとしているサムも将来を考える局面に立っていて、進学課程に進むことを意識しながら、それもまた高いハードルとなっています。社会の上層の人間からは、自分など虫けらみたいなものとしか思われていないと感じているサム。そんなサムがつきあうことになった女の子は、大学教授の父と区議会議員の母を持つアリシア。リベラルなアリシアの両親は、表面上サムを差別することはないけれど「君たちみたいな人間は」と見下されていることにサムは気づいています。最初こそ美人のアリシアにのぼせたサムでしたが、段々と醒めはじめた頃、アリシアに妊娠したことを告げられます。動揺のあまり、海に携帯電話を投げ捨てたり、プチ失踪して現実逃避しようとしても無駄というもの。やがて事実は公になり、アリシアの両親に、やはり「君たちみたいな人間は」と途方に暮れられます。どこかのチンピラに娘の将来を奪われたという彼女の両親の嘆きを前に、そのチンピラとしてはどうしたらいいのか。十六歳で父親になって、義務教育修了試験も受けれられないまま将来を見失い、やがて麻薬に溺れるようになる、それが底辺層の駄目ループ。サムがここから抜け出すにはどうしたらいいのでしょう。

ガツン!と、うっかり事故にあったかのようにしか恋人が妊娠したことを考えていないのがサムです。そもそも愛情なんてあったのか、なんて言い出す始末。彼なりの懊悩は非常に面白いし、新しい世界への目覚めもあります。とはいえ、駄目なヒトだな、というのがフラットな印象。境遇に拗ねるのはしかたないものの、彼自身もまた、人を見下し、尊重できていないのですね。馬の骨の反骨の自尊心だってリスペクトさせて欲しいと思うんだけれどな。サムは尊敬するプロのスケートボーダーであるTHの自叙伝を座右の書にしていて、このTHのポスターに話しかけると、彼の本の一節が会話のように浮かんできます。この引用が、なかなか含蓄があり面白いのです。僕も小学生の時にアントニオ猪木の『燃える闘魂』という自叙伝をボロボロになるまで読んでいた記憶があります(今にして思うとなんですが、当時は心を支えてくれていたのだよな)。少年は「愛」にはまだ幼く、己の心のヒーローと対話しながらジレンマを噛み締めるぐらいがお似合いなのかも知れません。

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