サイコーの通知表

出 版 社: 講談社

著     者: 工藤純子

発 行 年: 2021年03月

サイコーの通知表  紹介と感想>

そもそも人が人を評価することができるものでしょうか、などと大上段に振りかぶると話がややこしくなるので、この命題のレベル感をすこし下げます。会社の評価シートへの上司評価コメントや公募の審査員講評を読みながら、的外れだなあと思うことは良くあります。自分の真価を上手く伝えることができなかった方にも問題があリ、もっと人に評価されやすい価値を提供することが必要だったわけですが、おもねらないことが身上だしね、と実力不足を棚に上げて嘯くこともあります。実際、へつらってでも良い評価をもらっておいた方が人生にはプラスになります。自分らしいものを書きたいと思いつつも、大学受験の小論文のように、良いスコアを出すゲームだと思えば、割り切ってウケる文章を書けるものです。それでも評価されることに対して、意地を張ってしまうのは、自分の価値をイージーに決めつけられることへの反骨心があるからでしょう。健康診断の結果のようには、人からの評価を受け入れられないのは、定性的な判断による曖昧さがあるからです。そして、単なる成績ではなく、全人格評価のような気もしてくるからです。そうなると素直になれないのです。さて、小学校の通知表は、どんな評価を子どもたちに「通知」するものなのか。小学生にも自尊心やプライドがあります。その評価はいったい何を基準に下されたものなのか疑問に感じるのは当然です。不当な評価は人を傷つけるものです。子どもたちは抗うこともできないまま、そんな評価に自分を押し込められてしまうのです(まあ、大人もそうなんだけれど)。この物語は、小学生たちが、自分たちで先生に通知表をつけることで、評価をつけることを考え、通知表の真価を問うていきます。もちろん、一元的な是非を越えて、その先にあるものが見出されていく展開もまた期待できます。

いつも通知表に真ん中の成績である「できる」ばかりが並んでいる小学生四年生の男子、朝陽(あさひ)。つまらないふつうの成績であることに、引け目を感じています。同じクラスの他の子たちもまた、良い成績の子は良いなりに、悪い成績なら悪いなりに、それぞれ不満に思っていることがあります。親に見せればお小言の種にしかならない通知表。なぜこんなものがあるのかと、まだ先生になって四年目の若い男の先生であるハシケン先生にぶつければ「通知表は、そんなに気にしなくていい」なんて言いながら、ひきつった笑顔を浮かべます。努力をしているのに、わかってもらえずに、悪い成績がつけられる。そのことで傷ついている子もいるのです。どうにも納得のいかない朝陽たちは、先生にも成績をつけようと考えます。先生にも生徒が成績をつければ、不公平はなくなるかもしれない。そのためには、何を基準にして成績をつければ良いのか、子どもたち自身が考えなければなりません。授業がわかりやすいこと。イゲンがあること。子どもの意見を聞くこと。そんな項目を設けてハシケン先生を観察する子どもたち。先生にだってできないことがあるのに、がんばれなんてつもりで悪い成績をつけるのはいかがなものか。そんな疑義を突きつけられたハシケン先生は、子どもたちに、自分の気持ちを伝えていきます。たしかにハシケン先生は、子どもたちの意見を聞いてくれるという点では評価できそうです。とはいえ、子どもたちそれぞれが感じている、先生の授業のわかりやすさには差があったり、何を基準にして成績をつけたら良いのかわかりません。相対評価や絶対評価について調べ、他の先生と比べたりしながら、クラス全員が参加して、どんな通知表なら先生が喜ぶのか子どもたちは考えます。果たして、良い点ばかりをつけてあげれば良いものなのか。子どもたちが評価者になるという逆転の発想によって、通知表の意味を考えさせるこの物語は、やがて、評価することで思いを伝える、という真意に到達します。さて四年生の終了式の三日前のお楽しみ会で、ハシケン先生に渡された通知表はどんなものになったのか。子どもたちの思いをハシケン先生がどう受け止めたのか。立派ではなく、先生っぽくもない、若くて青い未熟な先生がもらった通知表が、ハシケン先生に伝えたものにご注目ください。

いいところも悪いところある。それでもいいのだという肯定。それが大切です。通知表をもらうと自分を否定されているような気持ちになってしまうのは、まったくもって肯定感を与えてもらえないからです。それもそのはず、ちゃんと見てくれているのかどうかもわからないような、信頼関係が育っていない中では、通知表は本来の意味をなさなくなるのです。大人になると、評価の観点のズレを理解できますが(時にあきらめてしまうこともありますが)、子どもたちは否定されているようにしか捉えられないものかも知れません。この物語には、頭ごなしで頑なな教師たちが、反面教師としてヒールぶりを発揮します。そんな老練で独善的な教育者たちが見失った通知表の本質を、子どもたちが、まだ未熟なハシケン先生と見つけ出していくプロセスが真を穿ちます。その信頼関係が育っていく過程をじっくりと読ませてくれる物語です。手加減して甘い点をつけてあげることではなく、適正な評価で、成長するための多くの気づきを与えることが、人を思いやることです。そこには、ちゃんと見ているよ、というメッセージが共にある。たまに、自分では欠点だと思っていたことを評価されて驚くことがあります。とはいえ、ダメなところが可愛い的なことを素直に喜べるかどうかも、自分の肯定感が養われているかどうか次第のような気もします。そんなところも、こんなところもあって、オールOKな自分を教えてもらえる通知表なら、大人だってもらいたいですよね。通知表が子どもたちにとって、どうあるべきか、祈りと願いが込められた物語です。