出 版 社: 岩波書店 著 者: ベッキー・アルバータリ 翻 訳 者: 三辺律子 発 行 年: 2017年07月 |
< サイモンvs人類平等化計画 紹介と感想 >
ジョージア州の高校生がゲイであること。まず、それがかなり衝撃的なことだという前提を頭に入れておかなければならないと思います。このところ自分の感覚がマヒしてきたのか、いやフラットになれたのか、ゲイの登場人物を、ごく当たり前だと思うようになってきています。児童文学やY Aにおいてもです。つまり、オレ的にはかなり開化されているわけですが、物語の空間では、登場人物たちを取り巻く環境次第で、その事実の重さが異なっているはずです。保守的な土地柄どころか、時代と場所によっては、同性愛者は死刑判決を受けることもあれば、強制的にホルモン治療を施されることだってあるのです。また個人の心情も様々です。現代の先進的な地域であっても、秘密にしていたいと思う心情も理解できます。両親が知った時に与える衝撃を考えるといたたまれなくなる、というのも、現時点では、ごく普通の感覚でしょう。異常なのではなく、普通の感覚を持っているから、苦しんでいるのです。「そういう人たち」だから、感受性が人より鋭いのだろう、なんて買い被りも偏見です。あたりまえの感覚があるからこそ、自分がゲイであることに慄いてしまっている。ゲイ礼賛なんてハデなことではなく、ただ本当のことを隠さずにいたいだけ。それがどれだけ高いハードルなのか、あらためて考えさせられる作品です。ごくごくあたりまえの高校生の感性を持つ主人公のサイモンと、彼を取り巻く人たちとの関係性や、その心の機微が鮮やかに捉えられた素敵な作品です。後半の畳み込みが特に良くて、ニヤニヤしていました。
学校の図書室のパソコンで自分のメールアカウントでログインして、そのままにしてしまったサイモン。次の利用者にメールの中身を見られてしまうというドジを踏みます。さらに迂闊だったのは、そのメールが、サイモンがゲイであることがわかってしまう内容だったことです。メールを盗み見たマーティンは、サイモンに、ある取引を申し出ます。これは脅迫です。こうしてサイモンは、ゲイであることを世間に晒されるリスクを負ってしまいました。サイモンがメールでやり取りをしていた相手はブルー。互いにゲイである二人はタンブラー(SNS)で知り合い、意気投合しました。同じ学校の生徒であることはわかっているけれど、それ以上のことは知りません。ただ気持ちは通じ合っている。二人の共通する悩みは、自分がゲイであることを家族にさえ打ち明けられていないことです。いつ、どうカミングアウトするか。ジョークを交えながらも、真剣に考える二人。さらにサイモンは、マーティンに先にバラされてしまう可能性もありました。自分の意志でカミングアウトすることと、勝手に風聞が広がっていくことでは意味が違います。演劇部で端役を演じる、あまり目立つこともない高校生だけれど、友だち思いで、信望も厚いサイモン。家族とも良い関係を築いています。そんな彼が自分に正直に生きる道はどこにあるのか。ブルーの正体は一体、誰なのかという謎解きもワクワクさせられるところです。互いに心を惹かれ合いながらも、やはり距離を探っている二人。サイモンだって本名を隠して、ジャックと名乗っているのです。ブルーの正体として、サイモンの頭に浮かんだ意外な人物とは。危機一髪のピンチがチャンスとなり、物語は思わぬ展開を見せます。覚悟を決めたサイモンの勇気ある行動にも注目です。サイモンとブルーが考える人類平等化計画。ゲイであっても、なくっても。素直な心のままに生きていくためには、人類は平等に、勇気を振り絞って、胸の内を告げなくては。ノーマルであるという意味もまた逆照射される物語です。いや、結局のところ、そんな違いはさして重要ではない、という物語であったかもしれません。
サイモンの友人たちや家族が魅力的です。とくにアビー。チアリーダーで、演劇部にも入っている社交的な女の子。サイモンとは深い友情で結ばれています。彼女に好意を抱いている男子は多く、サイモンを脅迫しているマーティンもまた、そんな一人。なんとかアビーとの仲を取り持つように、というのがマーティンの要求だったのです。このマーティンもまた、ちょっと屈折していますが、憎めない子です。十代の複雑な心情は、ささいなことですれ違ったり、重なりあったりします。個人的な一推しのキャラクターとしては、オタク系女子で、ちょっと性格的に難しいリア。彼女の拗ね方も、かなり複雑で面倒臭いんだけれど、サイモンはちゃんと彼女を気づかっています。イージーに人を傷つける気軽な悪意が飛び交っているのが学校というところだけれど、人がちゃんと尊重しあい、支えあう気持ちがあれば、それに打ち勝てるのだと勇気をもらえる作品です。人をグルーピングしてレッテルを貼り見下す行為に抗うこと。ゲイという言葉に安易に閉じ込められない自分がいなければ、誇りをもってカミングアウトすることもできない。一方で、カミングアウトされる立場の戸惑いと、その受け止め方も、かつての物語から進化しています(兄弟が同性愛者で、というお話はわりと良くありましたね。『クレージー・バニラ』などを思い出します)。家族や友人たちにもまた、それぞれに物語がある。豊かな個性を持った脇役たちを見ていると、さらにこの物語の世界の広がりを感じます。