とびだせバカラッチ隊

出 版 社: ポプラ社 

著     者: 吉本直志郎

発 行 年: 1983年02月


とびだせバカラッチ隊  紹介と感想 >
1983年のバカラッチ。などと「1986年のマリリン」風に書きはじめてみましたが、本書が刊行された「子ども文学館」(ポプラ社)という叢書には、1978年のズッコケ(三人組)がエポックとしてあり、同じユーモア児童文学でも、本書は忘れられつつある存在かもしれません。作者の吉本直志郎さんには、戦災孤児たちを主人公にした「青葉学園物語」という代表作(シリーズ)があります。今となっては、それ以外の作品がかすんでしまうのですが、本書は1983年の課題図書にも選ばれており、同時代で評価されていた作品でした。大きなテーマはないものの、豊かな表現力で自然の風景や子どもたちの心情がユーモラスに描かれており、実におおらかな作品です。実際、この当時の世情とは無縁のアナザーワールドを現出させていることが魅力的です。児童文学史にはあまり興味がなく、ただ作品を楽しめれば良いだけの読者である自分ですが、書かれた時代と作品の関係は気になります。果たして、あの1980年代初頭の殺伐とした、校内暴力全盛期に、いくら田舎だとはいえ、リルケやハイネや立原道造をそらんじている女子中学生がいたのか、とか、子どもたちが集団で石を投げあうような私闘が黙認されていたのか、などと疑問に思います。これが時代のリアルだったのか、と言われると、この頃、東京都心部で子ども時代を過ごしていた自分の感覚としては首肯できないし、当時から見ても二十年以上前の風景ではないのかという印象です。ただ、これは、理想の子ども時代ではあって、思わず憧憬を抱いてしまうし、あとがきを読むと、ポスト戦争児童文学として平和な世界の子どもたちを描こうとした著者の想いもあったのではないかと想像しています。中島きよしさんのイラストもまた時代をしのばせるもので、トータル的にこの本の醸し出す雰囲気をたまらないものにしています。イラスト付の登場人物紹介も非常に楽しいですね。機会があれば、是非、手にとって欲しい作品です。

わずか二十七戸の集落である栃谷地区にある小学校、栃谷分校。ここには生徒が十一人しかおらず、一人の先生が同じ教室で全学年の授業を教えています。男子生徒たちの関心は、毎年、春に生まれるフクロウの子どものこと。栃谷分校の一年生から六年生までの七人の男子生徒たちは、かわいらしいフクロウの子を山につかまえに行きたいと思っていました。ところが、いざ山に入ると、すでに木根森集落の子どもたちがフクロウを探しています。こうして、ブナの森に見つけた一羽のフクロウの子を巡って、栃谷と木根森の両軍に、はなばなしい戦争が勃発することになるのです。戦争といっても、悪態をつき、石を投げ、棒で叩く程度ですが、次第に両者共にエキサイトしていきます。かくして攻守を交替しながら、闇討ち、不意打ち、はさみ打ちと、奇襲作戦を決行する子どもたち。ついに投石で怪我人も発生します。そこで石の不使用協定が結ばれ、様々な戦闘ルールが取り決められるようになったのです。さて、この物語にもロマンスがあります。木根森軍のリーダーの幸太郎は小学六年生。彼は、栃谷分校の卒業生で今は中学一年生の里美に好意を抱いていました。この里美ときたら、自然を愛し、詩をそらんじるような、天真爛漫な女の子で、すごくフレンドリー。幸太郎は里美の前でひたすらアタフタとし続けるという始末。だけど二人は敵同士。実は里美はスパイでは、なんて疑念に頭を悩ませる幸太郎。そんなあたりも実に楽しく、里美の邪気の無さに幸太郎は翻弄され続けます。里美に会いたいあまり、危険を顧みず、単身、栃谷地区に乗り込んだ幸太郎を待っていたものは。と、これがなかなかニクい終わり方の物語で、子どもたちの心意気に微笑を禁じ得ません。子どもたちのハッピーな終戦を見守ることができる快作です。

策をめぐらせながら闘っているとはいえ、そうそう卑怯なことはせず、正々堂々と勝負するのは、男子としてのプライドがあるからです。一度決めた取決めは必ず守る。子どもとはいえ、そんなスピリットがあるのですね。田舎の分校では、何分にも同学年の生徒がほとんどおらず、おのずと異年齢の集団で遊ぶコミュニティが形成されています。六年生を頭にして、小さな子たちも入れたチームです。自分が育った地域でも、子ども会や登校班などの集団活動がありましたし、ご近所の歳の違う子どもたちとも遊んでいました。同学年同士の力関係とは違って、「お兄さん」たちがいることでの統率もあったし、なんというのか、子どもなりに地域の価値観が受け継がれていくような部分もあったと思います。昨今もこうした関係性が生きている場所もあるかも知れませんが、この物語のように濃厚ではないだろうなと思います。とはいえ、悪ふざけもすぎるし、やや野蛮な価値観がまかりとおっているところもあって、こうした悪ガキたちが、都会に出ないまま、そのままここで大人になるとすると、いわゆる(上野千鶴子さんが嫌われるような)ホモソーシャルなコミュニティを形成していくような予感もしました。地元のスナックで毎晩つるんでいるイメージです。閉塞的にもなるだろうけれど、まあ、「仲間うち」の楽しさはあるのだろうな。何にせよ、こうした子ども時代があるというのは、羨ましいものです。