チェリーシュリンプ

わたしは、わたし
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出 版 社: 金の星社

著     者: ファン・ヨンミ

翻 訳 者: 吉原育子

発 行 年: 2020年11月

チェリーシュリンプ  紹介と感想>

この物語の主人公である中学二年生の女子、キム・ダヒョンは、非公開のブログに自分の心境を書き綴っています。日記ではなく、非公開のブログというところがポイントです。web上のブログというのは、そもそも不特定多数の人に読んでもらうためのものです。ネットというオープンスペースで、限定公開でなく、まったく誰にも見られないように非公開にするという行為自体が矛盾しており、そこに彼女の葛藤が垣間みえます。ブログというものも現代(これは2021年に書いています。)では廃れてしまったツールとなりました。2000年代の前半から中盤頃まで流行っていたもので、自分でホームページを作成しなくても、自分だけのwebページを持てる手軽さがあり、コメント欄やブログ同士でトラックバックなどをしあうことで交流ができ、それまでのネットの掲示板コミュニティともまた違った、自分のベースキャンプを作ることができたものです。やがて、mixiなどのSNSコミュニティが隆盛となり(さらに変遷して、TwitterやInstagramやLINEや動画ツールになり)、ブログのように長い文章を書くことに特化したツールは流行らなくなったという印象です。とはいえ、長い文章を書かねば、思いの丈に届かないこともあります。僕もこうした文章を書くのに機能的にはブログツールを組み込んで使っているのですが、コメントが入ることは皆無ですし、ここに以前のようなコミュケーションが生まれることはない、というのがネットの人情の変化です。とはいえ、誰かが見てくれていることとは意識しています。自分の気持ちをweb上でオープンにすることは、ほぼ無視されるにしても、そこそこ思い切りのいることです。まずは自問自答があります。自分なんぞが言葉を発して意味があるのかと。ここにまた現在(2021年)流行りの「自己肯定感」がキーワードになってきます。韓国の物語ですが、日本の学校生活の閉塞感を描いた児童文学作品と非常にニアリーなものがあります。改めて、近い国だということを感じ入るところですね。

ダヒョンは幼い頃にお父さんを事故で亡くして、小さなうどん店を営むお母さんと二人で暮らしています。中学二年生の彼女の目下の問題は、学校での人間関係です。友達はいます。仲の良い五人グループです。とはいえ、その中で自分がどうふるまったら良いのか、彼女はいつも神経を尖らせていました。小学生の頃、仲間はずれにされた経験は、また自分の居場所がなくなることに恐怖心を抱かせるに充分なものでした。なので、デヒョンは「グループの意思」に逆らわず、協調することで、この関係を維持しようとしていました。グループが嫌っている子のことは、自分もまた嫌うのが当然なのです。中学二年生になって、クラス替えがあり、たまたま隣の席になったのが、彼女のグループが学校中で嫌う女子のナンバー2である、ノ・ウンユでした。有名弁護士の父親を持ち、経済的に豊かな人たちが住む江南から、一年生の時に転校してきた子。なぜウンユが嫌われるのかというと、実はダヒョンには良くわからないのです。当初、ウンユが隣の席になって、どんなに嫌かとグループにこぼしていたダヒョン。ノ・ウンユとは口をきかないというのが友だちグループの暗黙の了解なのに、課題のコミュニティ新聞作りをウンユと一緒にすることになってしまったダヒョンは、どうふるまったら良いのか戸惑います。真面目なダヒョンは友だちグループの子たちに唆されるように、課題をサボることを快く思えないのです。結果的に課題グループの活動に参加することになったダヒョンは、ウンユを始めとしたこのグループの子たちが、自分の話をちゃんと聞いてくれることに、密かに歓びを感じます。思えば、友だちグループの中で、いつも疎外感を感じていたダヒョン。どこか舐められていて、相手にされていないことを感じながらも、話を合わせたり、無理に道化ることもあったのです。友だちグループのリーダー格であるアラムがなぜか極端にウンユを嫌っているために、ウンユを悪く言おうとするダヒョンでしたが、ウンユが自分に寄せてくれるナチュラルな好意に、次第にどうしたら良いのかよくわからなくなってきます。真面目なことを言えばバカにされると思っているダヒョンが、つい漏らしてしまった本当の気持ちを、ウンユは茶化すことも笑うこともなく、真摯に捉えてくれる。嫌われ者のウンユをつい庇うようなったダヒョンは友だちグループの中で浮き上がっていきます。人の悪口を言ってばかりの友だちグループ。結局、自分はこのグループでどう思われていたのか。かつて仲間ハズレになっていた自分を救ってくれたグループへの愛着と憎しみがダヒョンの中で交錯します。ダヒョンが自分の心の声を素直に聞けるようになるまで。この等身大の葛藤が実に読ませる物語として結実しています。

本当はクラシック音楽や韓国の愛唱歌が好きなのに、真面目だと馬鹿にされることを恐れて、好きなことを好きといえない。そんなダヒョンが唯一、自分を解放できる場所が「チェリーシュリンプ」と名付けた非公開のブログでした。友だちグループのネットのトークルームで気を使い、少なからず、侮られ、傷つけられていたダヒョン。本当の自分の言葉を漏らせるのはブログの中だけ。ついに友だちグループと袂を分つことになったダヒョンは、この自分の居場所で想いを炸裂させていきます。自分が本当に好きな音楽の感想を書く。映画の感動を、ひっそりと咲く花に寄せる気持ちを打ち明ける。自分の真摯な気持ちのまま、弱さや恐れを隠さず、歓びを綴っていきます。どこにも属さないという姿勢に憧れを抱きながら、ブログの公開を決意するダヒョン。それはもう人の反応を気にかけないという強い意志です。自分の人生に集中すれば、まわりのことなど気にならなくなるというお母さんの言葉はダヒョンを動かします。ダヒョンはようやく友だちとの適切な距離感を掴んでいきます。小さくて、かよわそうだけれど、たくましい生命体、そんなチェリーシュリンプ(小さな真っ赤なエビ)に仮託して、ダヒョンが自分を見つけ、救い出していく軌跡が鮮やかに描かれていきます。中学校という荒野で、人はぞんざいに扱われ、否定されがちです。そして、自分もまた人を「無自覚に」ぞんざいに扱って、否定しがちなのです。強くなるということは、痛みを感じなくなることではありません。ダヒョンは、ウンユやアラムの心に近づいていきます。そこで何を感じとったか。まだまだ折り返し地点ですね。大変ですが、これからの未来があることに、羨ましさを少し覚えたりもしています。