出 版 社: マスブレーン 著 者: ロイス・ローリー 翻 訳 者: 中村浩美 発 行 年: 2003年12月 |
< サイレントボーイ 紹介と感想 >
この本には、多くの写真が掲載されています。二十世紀初頭の古い写真。この物語の登場人物たちです。写真があるのに、この物語はあくまでもフィクションなのです。筆者は昔の写真を集めて、写っている人物に役割を与え、そのイメージをつなぎあわせて、ひとつの物語をつくりあげました。ですから、写真と物語とは本当は関係がないのです。ところが、紡がれた物語の中で、この古い写真たちが語りかける力は饒舌です。バケツを手にしてオーバーオールを着た伏目がちな農村の少年の写真は、もう、この物語の中の、優しい心と、精神に障害を持った、ジェイコブ少年に見えてくるのです。この筆者の挑戦的な試みが創りだした、ひとつの物語世界。一人の少女の目から見た、ある農村の哀しくも労しい出来事。『子どもの話であっても、子どもに聞かせる話ではない』・・・少女は、孫を得た歳になった今、あの時代を述懐しながら、思いだします。そして、静かに、あの村のことを、そして、少年のことを語り始めるのです。
ケイティは村の名士である医者の家に生まれました。聡明で、自分も父の姿を見ながら、将来は医者になることを夢見ています。女性がまだ職業人としては、生きづらい時代ではあるものの、ケイティには、沢山の可能性がありました。優しい両親、仲の良い友達、そして、家にやってきてくれた新しい女中さん。ペギー・ストルツ。彼女をはじめて見たとき、ケイティは、きっと彼女は、お母さんのように誇り高く、感じの良い女性になるに違いないと、そう思えたのです。ペギーは、ケイティの大切な友達となります。慎み深く、良く気がつくペギー。隣の家に奉公にあがっている彼女の姉、ちょっと派手好きなネリーとは対照的なタイプ。ケイティの家では、良い娘さんに女中にきてもらったと喜びます。やがて、ケイティは、ペギーの弟、ジェイコブとも親しくなります。ジェイコブは、精神に障害を負っており、一切、ものをしゃべりません。けれど、動物に対して、その心を知り、いたわることは、どんな人よりも敏感です。ケイティは、言葉でコミュニケーションできないものの、この少年の心の光を見ることができます。やがて、少年に訪れる、悲しい出来事。少年が大切にしようとしていたものを知ったとき、胸に深く突き刺さるものに貫かれます。農村の牧歌的な風景を描くだけではない、物語の持つ重さ。晩年のケイティが回想する、子どもに聞かせるべきではない、出来事の真実とは。深く、胸に余韻を残す物語です。少女の季節は、早くもすぎ、ケイティの周りには、さまざまな事件がおきます。彼女の真摯な目線は、この田舎の農村の大人たちを真っ直ぐ見据えて、時に新鮮な感慨を胸に抱きます。その思いが、実にきめ細かく、またユーモラスで、派手な展開のない物語を、退屈させずに読ませていきます。ジェイコブという一人の少年は、彼女の人生の、ある期間に立会っただけかも知れません。猫を欲しがっていたケイティに、一匹の子猫をくれた少年。その後、医者として、妻として、母として、成長していったケイティにとって、少女の季節に少しの時間を過ごしただけの少年。しかし、彼が、彼女の一生に、微かだけれど、優しい光を与え続けたのです。
この本と同じ中村浩美さんの訳でアン・M・マーティンの『宇宙のかたすみ』という物語があります。あの作品にも、やはり精神に障害をもった、そして、心の美しさをもった青年が登場します。サイレント・ボーイとは正反対の饒舌すぎる青年。美しい心を持っているがゆえ、その人間としての弱さ、は、普通の人として暮らしていくことを阻むものとなってしまう。しかし、彼らのような人間に関わった少女たちは、その心の中に純粋な思いを宿らせ、弱さの中のささやかな強さを、大きな力はないゆえの、純粋な光を灯すのでしょうね。